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アメーバのような無性の原生生物は、自己増殖する。
自己増殖するのは、有性生物の場合にはメスであり、人間の場合なら女だ。
「自己増殖」という生物の根本原理を司っているのは女ないしメスだから、
生物としての根本性に即しているのは、男やオスよりも女やメスだといえる。
じゃあ、なぜ社会的には、東西にかかわらず男尊女卑が基本とされてきたのかといえば、
生物としての人間とはまた別に、文化的、文明的な社会を主体的に築き上げてきたのが、
女ではなく男だからだ。「より根本的な生物」であるが故に、自己増殖という生物の根本機能に
煩わされて、女性が社会的な主導者となることは妨げられてきたし、本当に実質から
女性が人間社会を司ることができたことも、本当のところ、一度たりともありゃしない。
人間社会と、この大宇宙、自然界とは「一律」な関係にはなく、自然生物としてより根本的な
存在である女性が社会的には副次的な存在となる一方、自然生物としては副次的な
存在に過ぎない男性のほうが、社会的には、より主体的な存在となる。
自然と社会とが相反する様相を呈することが、「易経」の序卦伝などにおいては示唆されているが、
旧約の創世記あたりだと、神が自然生物を作り上げた後に人間を別個に作り上げたとし、しかも
男のアダムのほうが先に作られて、女のイブのほうがアダムのあばら骨でついでに作られた
とすらしている。自然と社会の相反性、生物上における女の男に対する先行などを、稚拙な寓意
によって捻じ曲げて、挙句にはひっくり返してしまっており、男尊女卑が社会を超えた宇宙の
根本原理であり、男は女に原初から先行する存在であるかのような思い込みを助長させた。
男尊女卑が人間社会にとってこそ特有のものであり、自然生物的には女が男にも先行している
実相からのわきまえが、「易」に始まる東洋教学では原初からわきまえられていた一方で、
「創世記」あたりが実質上の原初である西洋教学においては、長いこと分別がわきまえられることがなく、
近ごろになって初めて実際のところを察して、勘違い通しだったことの恥ずかしさに喘いでいる。