11/08/19 21:10:39.33 O
>>155
>思考は時間の中で生きており、昨日経験したものを今日から明日へと記憶にとどめていくからであって、
時間はまさにそこから生まれるのである。
それは「時間というのは記憶から生まれる」ものなのかな?
あと時間の話してるのに「恐怖」っ言葉が出てくるのが良いよね
「恐怖」は思考の産物だけど、だからこそ幻想だっていわれる
166:レイア
11/08/19 21:23:12.34 O
>>159
嘘付くなよ
「思考」なんて願望がなくたって生まれる
「思考」は否定的な「苦難」の産物なんかじゃない
例えば「物凄い賢者」が居たとして、大きな地獄の門から墜落して愚かで危険なスパイラルに陥っても、小さな門をくぐり抜けて上空にもう一度上がって来れる奇跡というのは、紛れもなく「思考」のおかげだよね
「逃亡」はその言葉通りまさしく「真理からの逃亡」としか言えない
167:考える名無しさん
11/08/21 17:52:55.13 0
というか「希望」や「夢」は全部「逃亡」って・・
希望や夢を持っても別に現実から逃げられるわけでもないし。別に関係無い。
現実と向き合わないことを逃亡っていうんならまだ分かるが。
168:考える名無しさん
11/08/27 13:01:54.38 0
待悟禅が最強だよ
169:考える名無しさん
11/08/29 20:14:05.46 0
クリシュナムルティは1000年に1人の大天才でしたが、
我々凡人は師に付いて修行しないと駄目です。
170:考える名無しさん
11/08/30 22:42:18.46 0
クゼンヴィ実戦
171:考える名無しさん
11/09/26 11:28:23.18 0
>>169
そんなことはない。
誰でも瞑想すればできる。
だって、Kだろうが禅だろうが、
ただ単に心を手前に置きっぱなしにするだけだし。
こんな簡単なものはない。
172:考える名無しさん
11/10/03 13:05:43.85 0
【社会】 「日本の『禅』は偽物。『参禅』が日本の『禅』と間違って紹介され自尊心傷ついた」 ~韓国仏教の『参禅』をフランスで広報★2
スレリンク(newsplus板)
>韓国仏教の広報のため、9月27日からフランスを訪問中の曹渓宗総務院長チャスン僧侶(57)は1日(現地時間) 、記者団と懇談会を行った。
>席上で、日本語の「禅(ぜん・Zen)」という用語は間違っており、
>韓国仏教の特徴である「参禅(チャムソン・Thomson)」という用語を世界の人々に広く知らしめたいと強調した。
173:考える名無しさん
11/10/24 22:24:39.22 0
>>169
じゃあわしも天才のようだな
174:考える名無しさん
11/11/08 10:03:07.64 0
自我の終焉
175:考える名無しさん
11/11/13 00:09:10.98 0
欲求に思考が絡むと欲望になるんだよね
176:考える名無しさん
11/11/13 00:50:07.51 0
いまここにあることってホントに簡単なことだと感じた
なにもしなくてもよくて、ただ音が聞こえて、体の感覚が感じられて…
それだけで思考がまったく停止してなにもかも新鮮に感じられる感じといえばいいのか
とりあえず至福というのはこれか!!と後になって思考が言う。
とりあえずKが言うように努力は停止されるべき。自我は悟りとか無の境地いうものを達成すると苦悩がすべて消え去ることを知っているし、
自我は努力しようとするし、その境地を体得しようと本もたくさん読もうとする。自我を滅したいと思っているのは自我だし
自我というのは思考、記憶の世界で自我にも役割がある。自我ないと社会生活送れないし…
そこで自我に納得してもらう。僕は社会生活を送るためのマネージャーであると
177:考える名無しさん
11/11/13 00:54:10.08 0
C³
178:考える名無しさん
11/11/16 00:04:47.85 0
ガタガタ抜かすな。瞑想しろよ。見ろよ。悟れよ。爆発しろよ。
179:考える名無しさん
11/11/16 02:16:25.53 0
大事なのは観察。観察があっての上で思索もあっていい。
瞑想というより観察。ここでいう観察は内面の観察。
我々には知覚・思考・感情がある。これらを観察する。
自分自身を知る事が大切。
我々には反応がある。この反応の過程を観察する必要がある。
反応を観察すれば心理的反応は記憶・思考によって起こる事が理解されるだろう。
記憶・思考・反応は個人の心理的なものと個人に関わらない全く効率的なものに区別される。
この個人の心理的なものに関わる記憶・思考が自我・エゴの正体である。
自我は心理的記憶・思考の集積物なのだ。
我々の中では自我の過程がいつも動いている。
心理的にこれはいいと判断し記憶する。思考により集積された記憶をチェックしている。
恐怖・欲望・怒りなど様々な心理的反応は全て心理的記憶・思考を元に起こる。
瞬時瞬時の自分の反応を観察するなら
その反応は思考がきっかけである事に気づくだろう。
観察に習熟すれば一瞬の内に反応のきっかけの思考に気づくようになる。
そして反応に留まり観察するなら反応が消えてしまうことに気づく。
更に最初のきっかけの思考をやらないなら反応もない事に気づく。
こうして我々は反応によって自我に気づき
反応に留まり観察する事で自我を理解し自我を解消してゆく。
180:考える名無しさん
11/11/24 10:12:49.80 0
感情には振り回されるからな
1番観察が難しいかも
181:考える名無しさん
11/11/25 23:03:35.21 O
ヴィパッサナーなどのメタ認知と無為自然は正反対かと思いきや、結局は同じ状態に行きつく
って言うかメタ認知という「人為」を進めると翻って見事な無為に至る不思議
メタ認知の段階をすっ飛ばしていきなり無為自然の境地に至ったと思われる荘子やディオゲネスは、釈迦より凄いかも
182:考える名無しさん
11/11/27 05:56:25.53 0
Kは努力や訓練を否定しておられるが、始めから彼のような高度な英知に恵まれた哲人であるならば、そのようなことは無用であろう。
無為自然に生きられることが<自然>にできない我々凡人には努力くらいさせてもらわんとなw
あるがままの自然を見、生きられる状態に<なる>ためにもなんらかの訓練は必要だろうな。
ヴィパッサナーは
意識的な努力を<する>ことによって無為自然に<ある>状態になろうとする人為的な計らいだろう。
でもこれは極めて微妙な作業で、自己の計らいを自然に捨てられるようになって自動的にあるがままの自然に近づくのが理想だろうなあ。
まあ、どう言ったらいいのか。。
でもこれは意識と無意識の調和させ、あるがままを観察し、自在に行為できるようになるための方法として
はかなり秀逸なものだと思うね。
183:考える名無しさん
11/11/27 10:03:23.74 0
kが否定している努力や訓練とは
心理的な事柄(欲望・恐怖・怒りなどなど)に力ずくで変えるとか適合させるといった事です。
自分にとってよいか悪い(好き・嫌い)かを記憶しそれに結果として捕われ
欲望・恐怖を育てている。
kはこうした心理的な事柄に対して努力・訓練で臨むのは間違いだと言っている。
心理的な問題の根源は心理的な記憶・心理的な思考なのだ。
思考が問題の根源だから思考は消えるべきなのだが、
ここで言う思考とは心理的思考だ。
思考は必要であり捨てる事はできない。
しかし思考を心理的な事に使うのは誤りという事だ。
努力も心理的な問題を力で変えるという意味で使うならそれは誤りという事だ。
184:考える名無しさん
11/11/27 13:41:34.84 0
そうだね。心をどうこうしようと努力するのは違うかもね。
あるがままに見ることを妨げているのは明らかに心理的な思考ですね。
生活の手段としての努力や思考は必要だろうが、心理的な事柄に基づく思考は決定的に過ちを犯すということですかな。
185:考える名無しさん
11/11/28 00:23:52.09 0
思考を使う事は効率の面から必要と言える。
だか心理的な記憶・思考を使う事は誤りだという事です。
心理的な記憶・思考とは好き・嫌いとかを記憶しそのことについて思考をめぐらす事です。
これにより好きなものに執着し欲望を募らせる。
あるいは嫌いな物を記憶し避ける。これにより結果として恐怖・緊張・動揺などが生まれることになる。
これらの心理的思考の問題が人間の様々な問題の原因になっている。
怒り・欲望・恐怖・嫉妬・緊張・苦悩・出世欲・権力欲・暴力・嘘などその表れは多岐に渡るが、
全ては心理的記憶・心理的思考から来る。
我々は事ある毎に心理的に記憶しまた思考している。
これ等の記憶の集積・行動(思考)がエゴの正体である。
心理的記憶・思考が心理的な私を作っている。
ここで物理的な私については問題にしていない。
エゴ(自我)である私が問題であり、それは心理的記憶・思考。
効率的に必要な思考は問題ではない。
ここで心理的思考と効率的思考を見分ける必要性が生じる。
なぜならこれの区分が出来ないとどれが要らないものか分からなくなるからである。
我々が思考を使う都度、瞬時にそれが必要なものか、心理的なものか判別できる事が必要になる。
時々刻々と起こる思考を観察し心理的なものを見分けねばならない。
見分けられて初めて要らないものを捨てる事が出来る。
見分けられないならどれが必要でどれが要らないかわからない。