10/11/08 11:00:22 0
松本・山口・宮崎などを喜ぶのは柄谷とかああいった似非インテリが好きなやつらですな
苫ヲタあるいは苫本人も、その流れでしょ。
それをこの柄谷書評は証してあまりあるのではないか?
URLリンク(book.asahi.com)
>ラマ教が輪廻(りんね)転生の教義やそれに付随するさまざまな身体技法をもっていたからだ。
>これは、ブッダの教えの真髄(しんずい)が輪廻転生するような同一的な自己を仮象として批判することにあるとすれば、まったく仏教に反する見解である。
>しかるに、チベットでは輪廻転生の考えにもとづいて、ダライ・ラマの後継者が決められている。
以上が松本・山口・宮崎・並川などの和辻以来の珍説に依っていることは明か。
以上には二つの誤認がある。一つは輪廻なしに仏教はありえないこと。
釈尊以来、いくつかの些末な異端を除いて仏教が輪廻を前提としてきたことは疑いえない。
もう一つは、ダライラマは輪廻転生に基づいているのではなく、大乗仏教の根幹である、菩薩行・普賢行・誓願・無住処涅槃・化身に基づいているので、輪廻ということが基盤にあると言えるが、転生では全くない。