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144で書かれている「常識家」「基本的人格」とか、禁忌‐侵犯の弁証法の一方のことで、それ自体、
取り出しても無意味、ましてや物神化などできないし、勿論バタイユもそんな姿勢なわけががな
いし、ましてや「常識家でなければいけない」「基本的人格をもっていなければいけない」とか、バタ
イユが言うわけがないし、「私は哲学者じゃなく、狂人である」とは言ってますけどね。それと、「分
類」、彼の著作活動では必要だったけど、知性をとっても、知‐非知の弁証法としては確かに一要素
ではある。しかし、取り立ててそれ以上の意味はない。「彼の中のアナキズムや神秘性とは」から「
時間をかけて達成されなければいけない」にかけては、そんなことはバタイユの思想の歪曲以外で
はない、と言えるだけですよ。“アナキズムや神秘性は創造であり体験そのものではない”はひど
いぞ。悪いがこの発言は冒涜ものだよ。何気に言ってるだけかもしれないが、バタイユへの冒涜だ
と思うよ。君はそんなには知らないで言ってるんだろうから、その意味で読んでるけど、じゃなけ
ればひどい切り崩しだ。「暴力をたしかに肯定してはいるものの、それは瞑想によって昇華され、
時間をかけて達成されなければならない」もそうだ。貴方、これ、何なの?としか言えない。いい加
減なことを(苦笑)…。これもひどいぞ。意味を分かって書いてたら逆に凄いがね…(笑)貴方はまだ
そんなに読んでないで書いてるんだと思うけど、『至高性』で書かれてる殺害は創造世界でもなけ
れば、現実の行為として用いている。。『至高性』は理論的著作だし、そのものだよ。虚構でない、そ
のものとして書いてる。当たり前でしょう。「個人の意見としてなら」て、冗談言うんじゃない。
僕から言いたいのは、バタイユは貴方が今、理解しているような思想ではない、ということ。貴方
が理解しているバタイユは、まだ本当のものではない。地下鉄サリン事件の死と、「瞑想で高めら
れた喜ばしい死」とか、僕は一言も言ってないし、そこでそのような接続をするべきではない。そ
もそも、地下鉄サリン事件の死は瞑想で得られるようなものではない!そんなことを言ってないし
、瞑想とはそこでは関係ないんだよ。文脈が違うんだよ。分かってるのか?