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1+1=2が正しく、1+1=3や4が間違っているのは、人間が定義する算術に基づく自明の結論だが、
それでもやはり1+1=3や4を文言として創作もできる。そのような過ちを巧みに組み合わせることで
長文を創作することもできなくはないわけで、この世界には事実問題として「過ちの体系構築」もまた実在する。
その、過ちの体系構築のことを古来から「無理」と呼び、逆に正しさの体系構築を「道理」とも呼ぶ。
無理が通れば道理が引っ込み、道理が通れば無理が引っ込む。
正しさの体系構築たる道理も、過ちの体系構築たる無理も、それぞれが単独で個々の人間の言動規範や
生活規範を全てまかなうことが可能であり、道理は道理だけで一つの国家を、無理は無理だけで一つの国家を
形成することすら可能である。そして道理と無理とは、1+1=2と1+1=3や4ほどにも相容れず、どちらかを
立てる以上はもう一方が立たない。仮に両者を同時に許容したとしても、過ちを許容した時点で1+1=2の
清廉さは穢されて、1+1=3や4の汚濁のペースに完全に乗せられることとなる。それゆえ無理が通っている
ときには道理が引っ込まざるを得ず、道理が通るときには無理が引っ込まざるを得ない。