【文化】近代警察の父「大警視」川路利良がつづった鳥羽・伏見の戦いの陣中書簡が都内の川路家から見つかる[11/13]at NEWSPLUS
【文化】近代警察の父「大警視」川路利良がつづった鳥羽・伏見の戦いの陣中書簡が都内の川路家から見つかる[11/13] - 暇つぶし2ch1: ◆TOFU75Z77Q @甘味処「冷奴」φ ★
10/11/13 13:05:24 0
 旧薩摩藩士で近代警察の父、「大警視」川路利良(かわじとしよし)が、
鳥羽・伏見の戦い(1868年)に従軍した未発表の陣中書簡が、東京都内の川路家に残されていることが分かった。

 砲弾飛び交う戦場の生々しい様子や、次々に倒れる戦友への思いなどが活写されている。

 書簡は約2・8メートルの長さ(縦約16センチ)があり、開戦から2日がたった1月5日の戦闘から記述されている。
川路は当時、35歳で足軽部隊の「兵具方(ひょうぐがた)一番隊長」を務めていた。

 最大の激戦となった石清水八幡宮(京都府八幡市)の戦いでは、大砲の弾が飛ぶ中、
長州軍などと共に「馬追いのごとく」突撃し、幕府軍を敗走させた。

 書簡では、「世の中に戦ほど面白いものはない。戦も上手になったので討ち死にすることはないから心配しないでほしい」と自信を見せ、
「江戸城へ乗りこみ徳川慶喜(よしのぶ)の首をとる」と意気込む様子も記されている。

 大坂城の慶喜が江戸へ船で逃げたあとに、郷里の薩摩へ書き送ったらしい。

 磯田道史・茨城大准教授(幕末史)は
「薩摩人は基本的に寡黙だが、この書簡では親類の死を『愁嘆(しゅうたん)限りなき候』と後から書き加えるなど、
 感情を交え生き生きとした描写があり、とても貴重」と話している。

 ◆川路利良=1834~79年。
戊辰戦争で活躍し、維新後、新政府に東京の治安維持担当に登用される。
明治5年(1872年)に近代警察制度を学ぶためにヨーロッパへ渡り、
帰国後の74年に東京警視庁が創設されると大警視(警視総監)となった。
西南戦争では、官軍として西郷隆盛率いる薩摩軍と戦った。

ソース 2010年11月13日12時54分 読売新聞
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)



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