10/11/12 13:24:42 zxYR7w7P0
>>457
当時、日本軍は敗戦はしたが、連合軍の本隊がやって来るまでの現地の治安維持のために、引き続き武器を管理することを任された。
しかし、日本軍に育てられた現地インドネシアの独立義勇軍は、再び連合軍の本隊が来たら二度とインドネシアの独立は無い、と、日本軍に武器の引き渡しを求めた。
日本軍の現地司令官は、連合国からの命令と、インドネシア独立義勇軍からの間に立って、葛藤した。
そして彼は、独立義勇軍の司令官に言った「いいか、よく聞け。 我々は武器を渡せと言われても、連合軍の命令でそれは出来ない。 だが、襲撃されて奪われたとなれば話は別だ。 来週、新月の夜、01:00だ。 いいか?わかったな?」
「ありがとう! この恩は忘れない。」
新月の夜、午前一時に基地は義勇軍の奇襲攻撃を受け、殆どの武器弾薬を奪われた。
”奇跡的”にも、この戦いで双方に死者はなかった。