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[ ● ]\(`・ω・´)<日本国民のキミへ
1945年、日本敗戦。オランダ領だったインドネシアに橋頭保を築き、来るべきインドネシア独立に
備えて現地人の教育・戦闘訓練を行っていた日本軍。敗戦後、彼らはインドネシア再占領の為の連合軍の
本体が来るまで、連合軍の支配下に組み込まれ、現地のインドネシア人の独立運動を鎮圧するように命じ
られた。自分たちが手塩にかけて育てたインドネシア独立義勇軍と戦う事を余儀なくされた日本軍人の忸怩
たる思いはどれだけのものだっただろう。そうした中、連合国のご機嫌を損ねて、関係を悪化させてはなら
ないと、「連合国に協力せよ」という日本軍の軍令に反して、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「祖国への思いを断ち切り」インドネシア独立運動に身を投じた誇り高き日本軍人たちが居た。再占領を
企図し侵略してきた英蘭両軍に対し、日本軍人を中心としたインドネシア軍はよく闘い、1949年、ついに
独立を国際社会に認めさせる事に成功する。
「戦時プロパガンダだ」と一蹴されていた「東亜解放の大東亜戦争の大義」の一旦が実現した歴史的瞬間で
あった。インドネシア独立に身を投じた日本軍人達は戦勝後もインドネシアに残り、文字通りインドネシアの
土に帰る事を選択したのだ。
インドネシアの父、スカルノは特に親しかった残留日本軍人にこう書き残している。
「市来龍夫君と吉住留五郎君へ 独立は一民族のものならず 全人類のものなり
1958年2月15日 東京にて スカルノ」
現代の我々は、再び考えるべきであろう。「組織の硬直した命令が絶対」なのか、「日本人としての
大義を大切にする勇気を見せるべき」なのかを。
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