10/11/09 21:21:09 sOZ29W7y0
自分を、自分の両親、そのまた両親を生かしてくれるために、
自らの命を投げ出してくれた人がいる。自分の存在はそうした尊い犠牲の上にある。
靖国神社にはそうした、生きてはまみえることのなかった子孫のために
命を投げ出してくれた人たちが祀られている。感謝の気持ちは自分もまた次なる子孫のために、
愛の連続性に責任を持つという姿勢として現れてくる。
だからこそ、どの国、どの民族も、自国の為に戦って倒れた戦士の慰霊を大切にする。
当たり前の行為なんだといいうことを改めて日本人は自覚すべきである。
そして慰霊の作法というのは、それぞれの国や民族の文化によって異なるものですから、
これは日本のやり方を通すしかない。いまの日本が徹底した侮りをうけないで済んでいるのは、
身命をなげうって究極の奮戦をしてくれた英霊、とくに神風特攻隊のお陰です。
彼らが武士道精神を発揮して戦ったその記憶が『バリア』となって、いまもわれわれを守ってくれている。
あまり日本に理不尽なことを仕掛けてはならないという自制を世界にもたらしている。
問題なのはその残像が彼我の間から急速に薄れつつあることです。
戦後半世紀の平和は、「平和憲法」によってもたらされたものではなく、
最悪の戦いのなかで、究極の武徳を示してくれた英霊のお陰だと私は思っています。
逆説的ですが戦う力をもってはじめて『孫子』にある「戦わずして、人の兵を屈するは、
善の善なる者なり」が果たせるのです。戦後の日本人はこの逆説がまるで分からなくなってしまった。
URLリンク(web.archive.org)