【論説】 「尖閣問題で思い出した…首相の靖国参拝、天安門事件の遠因に。外交は難しい」…毎日新聞at NEWSPLUS
【論説】 「尖閣問題で思い出した…首相の靖国参拝、天安門事件の遠因に。外交は難しい」…毎日新聞 - 暇つぶし2ch1:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★
10/10/04 08:51:01 0
★余録:尖閣問題で、25年前を思い出した…

・尖閣問題で、25年前を思い出した。中曽根康弘首相が8月15日に靖国神社を
 初めて公式参拝した時のことだ。予想通り中国からは猛反発が出た。タカ派と
 いわれた中曽根氏だが、自民党内から「弱腰」批判を受けながらも、意外なほど
 あっさり翌年の参拝は見送った。なぜか。その後中曽根氏が自著「天地有情」
 (文芸春秋)で語っている

 ▲当時中国では、改革・開放路線を進める胡耀邦総書記が保守派との権力闘争で
 厳しい立場に置かれており、靖国参拝がますます彼を追い込んでいた。胡氏が日本の
 青年3000人招待計画など親日路線を明確にしていたからだ。中曽根氏は胡氏を
 おもんぱかり、中国とパイプのある稲山嘉寛経団連会長が訪中する際、中国側の
 本音を探るよう密使役を頼んだ

 ▲稲山氏が帰国前日の早朝6時、宿舎に副首相級の党幹部2人が訪れ、深刻な
 表情で、ぜひとも参拝を中止するよう懇請した、という。「開明派の胡氏の失脚は
 世界と日本に甚大な損害を与える」というのが中曽根氏の最終的な判断だった

 ▲結果的に胡氏の失脚は防げず、それが89年の天安門事件の遠因の一つに
 なったのは歴史の教えるところだ。外交の難しさは、譲歩したように見えた方に
 実は余裕があって、高圧的な姿勢の裏には弱点が潜むことがままあることだ。
 もちろん、「靖国」と「領土」とは異なるし、あれから両国の力関係も相当変わった

 ▲ただ、今回も未解明な点が多い。中国政権内部でどう意思決定されたのか。
 権力闘争があったのか。日本政府への伝達は表のルートだけだったのか。日中の
 将来を展望するためにも複眼的検証が必要だ。

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