10/09/28 23:04:27 FAHMqnDf0
唯一の地上戦になった沖縄では多くの住民が犠牲となった。しかし金武町ではその実態が不明である。
理由は戦後施行された「戦傷病者、戦没遺族等援護法」。
沖縄に限り一般住民でも、「戦闘協力者」と認定されれば援護法の適用を受け、給付を受けることが出来た。
「もらえるものはもらいなさい、という役場の指導があって、病気や空襲で死んだ人たちの遺族の便乗してもらったんです。
申請書類には誰の命令で行動したか、を記入する欄があるのですが、なぜかほとんどが”田中軍曹”でして、調べてみるとそんな人実在しないんです。
聞き取り調査をしても、本で読んだ話を自分の体験のように語るし、何人か集まってもらっても。”それを言っちゃダメ”とか、お互いにけん制しあう。
結局丸く治めるには”みんな日本軍にだまされて協力させられた”という話にするしかないわけです。」
金武町教育委員会町史編纂室・奥間俊夫氏
貧しく、識字率も低かった当時を考えれば仕方の無いこと。しかし、それ以来口、裏あわせは町民の生きる術となっているらしい。
「であるとおりに言っていればいいのサ」
寄留民である商人の老人が言っていた。”であるとおり”とは、基地がいいとか悪いとかでなく、
基地がある、ただそういっておればよいのだと。
高橋 秀美著 からくり民主主義 P146から抜粋
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