10/09/28 09:09:13 WL835gYW0
本件釈放の判断について、よく「三権分立を侵した」とか、
「司法権に介入した」とかいった意見があるが、正しくない。
検察庁は刑事に関して公訴権を独占する官庁であり、
刑事司法に深く係わるので準司法的作用を営む。
しかしそれはあくまでも「準」であり、司法権そのものではない。
司法権を担うのは裁判所であり、検察庁は行政官庁である。
したがって、本件が公訴の提起までなされ、政府が判決に
影響を及ぼしたということでもあれば当初の批判も成り立つが、
公訴の提起前の処分であるので、ことはあくまでも行政内部の
問題なのである。
本件では逮捕時にも既に意思決定に政府が係わり、
釈放の決定に際しても総理、官房長官、法務大臣を通じて
検事総長に事実上の指揮権を発動した様相を呈している。
検察庁法第14条により、個々の事件について政治家が
検察に指示などはできず、法務大臣が検事総長に対して
のみ指揮権を有する。
しかし、検察庁法第14条による指揮権発動はなかったとし、
「日中関係を考慮」するというような高度な政治的判断を
あたかも検察独自でしたように発表し、責任を検察に擦り付け
ている。
刑訴法248条の起訴便宜主義は検察が公訴を提起しない
理由として「日中関係を考慮」することまで許しているのか?
本質はこのように責任者がでたらめを言って一切の責任を
負わないという民主党政権共通の無責任体質にこそある。
職を賭して起訴に持っていかなかった検察も情けないが、
究極的責任は菅総理以下、官房長官、法務大臣といった
内閣にこそある。