10/09/26 11:43:32 vf4fiflWP
>>41の続き
李鴻章は日本を恐れさせようと、当時世界最大艦のドイツ製戦艦、定遠、鎮遠、他2艦を
日本に送り込んだのだが、逆に水兵側の死傷者が多く出たことから激怒し、
長崎事件後、清軍ドイツ人軍事顧問に「今度こそ日本に一撃せん」と語ったことが日本人一般市民に
知れ渡った。
清国とは朝鮮を巡って戦争になったと言われているが
あくまでもそれは一面であり、この事件が切っ掛けとなり、
中国人のキチガイぶりを見せつけられ
当時の日本人が「戦争はやむを得ず」と考えたのが主因である。
ちなみにこの4隻の艦名の「遠」とは日本を指す。
日本を「威」圧するということで威遠
日本を鎮定するということで鎮遠、定遠
日本を「威圧済み」「鎮定済み」ということで「まる済マーク」の済遠
以上の事実を見て日本が決断すべきは
「そして日本は富国強兵を行い8年後、清国を打ち破るのであった」
現在は日本単独で中国の軍事力増強には対応できない。
アメリカ・インド・ASEAN諸国と連帯し「文明国として不実のシナ」に
対していかなければならない。