10/09/23 17:05:35 vLgQIEU20
>>503昔は日本だって・・・
「ひうらさんのおもひで」
父の友人に「ひうらさん」といふ越後人がありました。生きて居られればゆうに百歳超えませう。
明治の御代に雪の越後を後にして、刻苦勉励、数多辛酸を嘗め、戦後は小金持になり、
銭湯など経営して世を終へられました。
この御仁が、大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗組んで北洋漁業に従事してゐた時の話です。
氷濤の中、果敢に操業してゐた或日、突然蘇聯の警備艦艇に謂れ無く拿捕され、
乗組員一同、浦塩に聯行、抑留されました。
取調べは惨たらしいもので、生きて再び日の目を拝めるかと思った程ださうです。ありもせぬ
犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎へ、再び鐵格子の中から引き出されました。
いよいよ殺されるかと半ば覚悟した途端、何故か赤魔官憲の態度が掌を返す如くに豹変し、
捜査は打切り、無罪放免。露西亜紅茶まで振舞はれてにこやかに釈放するではありませんか。
解き放たれたひうらさん達は警察署だか獄舎だかの外へ出ました。
天然の港町なら大概、地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けているものです、
半信半疑の儘、ともかくも港へ向はむとふらつく脚を海へ向けました。
その瞬間、何故、助かったかが判りました。
沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を
開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ。陛下の赤子にかすり傷だに負はせなばウラジオ
ストックそのものを消滅させんばかりの圧倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を
威圧して呉れてゐたのです。
旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう。
皆、感泣しました。鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで……。
ひうらさんは無事、日本に帰りました。
取るにも足らぬ漁舟の、僅かな人数の乗組員の為に、大國相手の戦争をも辞せず、瞬く間に
艦隊を繰り出して救出してくれた祖國日本の親心に酬いる為にも、なほ一層仕事に励み、三代
の御代を生き抜き、東京都江戸川区小岩の自邸で、四半世紀ほど前に大往生を遂げられました。
勤倹貯蓄、關東大震災の前の歳に買ったといふ革靴を、靴底だけ張替へ張替へして生涯穿き続けました。
「贅澤をする金があったら海軍に献金でもせい!」