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「京都の人が言う『戦後』とは応仁の乱の後のこと」「訪問先で『ぶぶ漬けでも食べていきなはれ』と言われたら、
もう帰ってほしいという意味」など、京都人にまつわる“伝説”は数知れない。
逆に言えば、京都人の気質はそれくらい、つかみどころがない(=相手に悟られない)のである。
これはひとえに、京都の歴史がとてつもなく長いことによる。京都に初めて、平安京という都が置かれてから
1200年を記念する行事が行われたのは十数年前のことだが、考えてみればこれは大変なことだ。
再来年(2010年)に1300年という節目を迎える奈良もそうだが、こうした歴史が意味するものは想像以上に重い。
京都人は、プライドの高さにかけては全国ナンバーワンといってよい。そんな京都人にかかると、
こちらが何を主張しても、歯が立たない。
その気質をあれこれ論じてみても、「まあ、そないな見方もありやすやろ。でもなぁ……」と
肩透かしを食わされておしまいである。そのときの表情には余裕というか気品さえ漂っている。
そのあたりは、今は首都であっても、京都人から見ればまだまだ“仮の都”であり
“新参者”である東京の人びととはまったく異質ではなかろうか。
京都人の余裕・気品がいちばんよく見て取れるのが言葉づかいである。
どっちとも取れる物言い、ゆるりとした語調に「はぐらかされた」という印象を持つ人は決して少なくないはずだ。
「盛者必衰の理」というか、変転に次ぐ変転の歴史を間近に見てきた京都人は決して結論を急がないし、
白黒をつけたがらない。それが世を生き延びていく究極の秘訣であることを知り尽くしているからだろう。
これでは、相手の手のひらの上で遊ばされているのでは……といった思いを抱きたくなるのも当然かもしれない。
そんな京都の人を相手にしたときは、まかり間違っても「こちらのほうが偉い」などという雰囲気を見せない、
どんな立場にあっても徹底してへりくだり、相手の誇りを傷つけない―それに尽きると言えそうである。
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