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■ 飯干晃一 著「山口組三代目 田岡一雄自伝 電撃篇」(1971年初版 徳間書店)
▲昭和20年8月末、わたしは所用の帰途、女の悲鳴をきいた。
人通りもすくない東山病院の裏手である。白熱の太陽がキナくさい焼跡に照りつけていた。
一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。朝鮮人の男たちだった。
彼らは不適な薄ら笑いで女の手足をおさえつけ、一人がその上に乗っている。
女は狂ったように絶叫していた。
「汚ねえ・・・・」
うめくと、わたしは遮二無二彼らに突進していった。(p194)
■昭和21年2月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が朝鮮人らに拉致されて暴行殺害され、
同年4月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり朝鮮人らの手によって射殺された。
そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす不祥事さえもちあがった。
すなわち不良朝鮮人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質として
電話指令交換室を占拠したのである(p214)