10/09/16 01:15:10 9dHQtZk10
>>570
>徹頭徹尾自らの都合の良い幻想に包まれたままそれが具現化している様子をよく現している。
>それによって表出された欲望そのものが形を取って現れたようで・・・・。
>まさしくそれこそが「萌え」の真髄ではないか。
それがマスコミ的なカリカチュアに過ぎない、ということなの。
単純に、萌えってのは「都合の良い幻想」ではなく、オタにとって「善美なるもの」以上の意味はないよ。
根本的に「かわいい女の子だなあ、ドキドキするなあ」以上の意味はねえw
そこに「都合の良い」とか、「幻想」とかいう必要以上の価値判断を挟み込む必要はない。
必要以上の価値判断、村上の場合そこにカリカチュアがあるわけだけど、
それがオタ側からすればおかしい、と思う部分なんだろうと思う。
オタカルチャーにせよ美術にせよ、それはビジュアル化されたイデアに過ぎないわけで、
同じように、美術史について、「徹頭徹尾自らの都合の良い幻想」だと言う事も出来る。
けれども、恐らくこの批判は、今日、美術史に対して通じない。20世紀前半の美術界ならともかく。
あるいは宗教画に対しては通じるかもしれないが、他には通じない部分も多い。
オタカルチャーの創作者達は、宗教画を書いているわけではない。