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大学入試の戦後史 中井浩一 京都大学文学部卒
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AO入試 SFCの栄光と挫折
「AO入試には客観的な基準がないから高校では入試対策として対応できないし、トップ層
には勧められない」と公言する進路指導部の教員も多い。優秀な生徒は、より偏差値の高い
大学を目指すため、高校側は推薦やAOでないと入れない生徒を送り込むことになりやすい
のだ。大学側からは、そうした高校サイドの「保守的」姿勢への不満をよく聞いた。
トップ進学校の実状を見よう。灘高校で、AO入試での受験を考えるのは1%、一人か二
人で無視できるほどだと言う。AO入試を考えるのは、数学や英語はよいが、国立型は無理
といった場合だ。
学校の実績を考えれば、高校側は合格実績の数が欲しいので、AO入試や推薦入試を望ん
ではいない。一般人試なら、優秀な生徒は慶應だけで五つの学部に合格したりして数をかせ
げる。単願のAO入試では、それが1つになってしまう。
こうした間隙を埋めるのが、常に塾や予備校だが、その対策のマニュアル化をめぐって、
大学とのイタチごっこを繰り広げることになる。
対立は、大学と高校だけではない。高校教師や保護者と高校生の間にも深刻な溝かある。
優秀な生徒は確かに偏差値の高い大学を目指すのだが、それも以前とは意味合いが途うの
だ。上の大学を目指すことは目指すのだが、その執念はそれほど強いものではない。できれ
ば、はやく決めて楽になりたい。できるだけ早くストレスから解放されたいといった傾向が
強いのだ。彼らはAO入試に流れていく。そこに数師とのせめぎ合いがある。
奈良県の西大和学園では、本当に問題意識の強い、勉強に興味のある生徒は海外に出てし
まうと言う。弱い生徒が国内に残る。そうした生徒を、AO入試で多数選抜することは可能
だろうか。