10/09/10 00:08:35 gtp5sOOv0
本題からズレるが、推古天皇の時代に聖徳太子が隋の煬帝に手紙を出したのは
有名だが、その内容は、
大業3年に、日本の王の多利思比孤(聖徳太子)が使いを送ってきました。
使いの人は「私たち数十人の僧侶は仏法を学びにきました」と言いました。
聖徳太子が書いた手紙には「日が出るところの天皇から、日が沈むところの帝に送ります、お元気でしょうか」と書いてありました。
注目ポイント
王は聖徳太子で、推古天皇じゃない。
自分のことを「日出ずる処の天子」、煬帝のことを「日没する処の天子」としている。
つまり、この時代の本当の天皇は聖徳太子であって、推古天皇じゃないことになる。
この時代の歴史は改竄されているのかもしれない。