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1994年6月27日に起きた長野県松本市のサリン事件では、毒ガス成分を加熱し送風するサリン噴霧車が使用され、
毒ガスが大気中に噴霧され 7人が死亡した。 1995年3月20日、東京の地下鉄各線でサリンが撒かれた。
東京の地下鉄各線での、実行犯による毒ガス散布方法は次のとおり。
液体のサリンはビニール袋に入れられた上で新聞紙に包まれていた。
各実行犯は、およそ1リットルのパック2つを運び、林泰男だけが3パックを携帯した。
犯人は割り当ての列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた傘を使い、袋を数回突いた後に列車を降り、
共犯者の待つ自動車で逃走した。
この犯行の経緯を考えると、小学生レベルの探偵推理でも気付く実に不可解な事実がある。
それは、サリン噴霧車を作ったような連中が地下鉄では何故、犯人と特定され易い乗客の目の前で、
しかも実行犯自身も毒ガス被害になる危険を冒してまで、傘先でサリン袋を破ったのか。
“ 常識的な毒ガス散布方法 “ としては、犯人と特定され難くさらに実行犯自身も毒ガス被害に遭わないためには、
タイマーなどを使った時限式散布方法はいくらでも考えられるのに、なぜ実行犯グループはそうしなかったのか。
それはこの事件が、実行犯を特定させ易いように仕立てられた、国家規模レベルの大掛かりなテロ事件だからである。
東京地下鉄のこの事件の前にも、オウム真理教の各支部ではさまざまな異臭騒動を起こして、それが連日
TVで全国放送されるという状況にあった。
さらに静岡県のオウム真理教本部を上空から映す報道ヘリの映像には、第7だか第8かのサティアンの外壁から、
“ 見てくれと言わんばかりの “ 長く口径の大きな用途不明のパイプが突き出ていた。
その後このサティアンの内部が公開されると、
一見すると毒ガス大量製造プラントのような “ 派手な作り “ になっていたが、その後の検証でそれは
麻薬精製用の可能性もあるとかで、捜査追求も実に曖昧なままに施設は解体された。