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(>>2のつづき)
ブラジルの華裔(居留国で出生し、その国籍を取得した中国系住民のこと)作家である袁一平は、
『啼笑嫁巴西(泣き、笑って、ブラジルに嫁ぐ)』という作品の中で、「銭さん(銭は姓)」という人物を
描いている。ある日、銭さんが銀行にお金を支払いに行ったところ、ドアを入るとカウンターの前は
長蛇の列であった。そこで彼は厚かましくも、列に割り込んで支払いを済ませた。一人の老人
男性が真っ先に怒り、銭さんをののしって言った。「この日本人め、ちっともルールを守りやしない、
あきれたもんだ!」銭さんは何の釈明もせず、ただばつが悪そうに苦笑いをして去った。彼は
口の中で自分を慰めるようにつぶやいた。「ののしられたのはワシじゃない、ワシは日本人
なんかじゃない。なんでもない!」
しかし、銭さんは良い行いをすれば、決まっていつもその手柄を中国人のものとした。
ある冬の晩、彼は、中国の教会が橋の下に身を寄せる乞食たちに食べ物を配る手助けをした。
その貧しい人びとはパンやミルクを受け取ると、深々とお辞儀をし感激の涙をこぼした。施しを
与えてくれた人の名前がわからないので、ぺこぺことお辞儀をしながら「ありがとう、日本の方。
日本人は本当にすばらしいです」と言った。銭さんは即座に正して言った。「ワシらは日本人
じゃない、中国人だ。わかったかね?中国人だよ」
銭さんの論理はこうだ。「時間が経てばやがて、ブラジル人たちは良い行いはみな中国人が
やったものと思うようになるだろう!」しかし、銭さんのたゆまぬ努力も徒労に終わるだろう。
なぜならばこのような子どもじみた簡単な手段は、日本人もとるだろうからだ。(以上、抜粋)