10/08/26 23:57:25 hjXDc1AU0
>>345
勉強不足でユダヤ教ではどう説明してるのか知らないが、
聖書を書くもの(その他にもさまざまな奇跡を起こす者たち、
神の意に沿ってこの世に神の意を実現させる者たち)には、
「聖霊」がやどる。
三位一体とはこの人間に宿る聖霊が、父なる神、子なる神(キリスト)と
それぞれまったく同じ力・能力を有していながら、まったくひとつの存在
という意味だ。そのゆえ、聖書は神そのものが書いた文章とも言える。
キリストが父なる神より劣る存在だとすると、「神が人となり、全ての
人間の罪を背負って『(神なのに)死んだ』。そして蘇った。」という
キリスト教のもっとも根本的な奇跡が危うくなる。キリストが人と同じ
「神の似姿」では救済は完全では無いからだ。
そして、聖霊もまた神と同格ではなければ、聖書の真理が危うい。
「目からウロコのようなものが落ちた」あとのパウロの行伝もパウロの
手紙も、神性を奪われてしまうからだ。
まあ、こんな風にして現代ではキリスト者さえも不毛ともいう、教義論争
があったのだ。