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web上でカットされた>>1の続き
一方、交換手だった旭川市の斉藤千代子さん(85)が明かすのは「憲兵から青酸カリをもらった」という自決した同僚の言葉だ。
斉藤さんは戦後も現地に抑留され、48年に道内に引き揚げた。
服毒をめぐっては63年、彫刻家本郷新氏らが「軍の命令でとどまり服毒した」との慰霊碑を稚内市稚内公園に建立したところ、市が「表現を和らげたい」と、軍の関与を削除。
自決当時の郵便局長も「軍命はなかった」と手記に記した。
ただ、局長は自決当日不在で、毒の出所について「工事局らしい」と伝聞に基づく推測でしか書いていない。宇田さんの話は、内部流出を目撃者として初めて認めたものだ。
2008年に9人の悲劇を「永訣の朝」(河出文庫)で紹介した札幌の作家、川嶋康男さん(60)によると、自決した交換手から「毒は軍人にもらった」と聞いた同僚がいたことが分かっている。今回の斉藤さんの話で、軍関係からの流出証言は複数となった。
川嶋さんは「宇田証言は、内部流出を初めて裏付けた。斉藤さんからは、生きて虜囚の辱めを受けず、という先陣訓が一般女性にも及んでいたことが分かった」と話している。