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マイナス35度の雪原。8人の兵士が獲物のオオカミを手に記念写真に納まっている。
「遊び場もない幕舎暮らし。仕事ばかりで、週1回の休日は狩りに出かけるのが楽しみでした」
盛岡市の和野武男さん(86)が、戦時中にハイラル(現中国内モンゴル自治区)で過ごした日々を振り返る。
ソ連(当時)との国境近くでの任務は、思い出すと恐ろしいものだった。
川の水を試験管に集め、軍医に渡した。軍医は試験管にコレラや赤痢の菌を混ぜては、
「試験管をばらまいてこい」と命じたという。細菌戦の一つだったと後で知った。
和野さんが所属したのは「731部隊」。毒ガスや細菌を使った作戦を担い、「マルタ」と呼んだ捕虜で生体解剖も行ったとされている。
1940年、和野さんは陸軍に志願。翌年3月、旧満州・平房にあった同部隊に配属され、顕微鏡の使い方や菌の培養などの教育を受けた。
軍医の元での不可解な任務に、和野さんは歩兵への転属を願い出た。上官は「銃で戦うばかりが兵隊ではない。
今の仕事も大事だ」。44年にフィリピンへ移るまで、同部隊での任務が断続して続いた。
終戦を知ったのは45年8月21日。ルソン島で米軍将校と日本軍の中尉から「戦争は終わった」と教えられた。
ソース 朝日新聞
URLリンク(mytown.asahi.com)
(続)