10/08/16 20:27:22 i
(>>1のつづき)
大韓民国が民権をもってスタートするのは、1948年の建国以降であるから、それまでの
22年間、主権の空位が生じてしまう。「日本国権署国事期」とでもするのであろうか。
韓国の歴史が不幸であったことは筆者も認める。中国の属国から、近代日本に
もぎ取られて植民地となり、国権は失ったものの、ようやく白衣貧窮の古代経済から
解放された。年平均3・7%の経済成長を遂げ、近代日本によって移植された民法典と
私有財産制は朝鮮人すべての財産を守った。コメは増産され、経済法則に則って日本に
輸出された。これらはすべて、韓国の経済史学者らによって実証されたことである。
しかるに、戦後、38度線で体制が北と南に分裂した。北はソ連の傀儡国家から始まり、
主体思想により自立の道を歩もうとしたが、経済の不振はふたたび朝鮮を中国の半属国の
地位におとしめてしまった。中朝の歴史をフラッシュバックするように、北はしょっちゅう
中国へお伺いを立てに行く。
韓国は一層努力した。前身は、属国と植民地だけの歴史である。独立は自力で勝ち得た
ものではなく、アメリカから棚ぼた式で降ってきた。そして三方を海に囲まれ、北方には行けず、
いわば「島化」したのだが、この困難な状況下で国民国家として何とか自立しなければ
ならなかった。そのため他律性そのものであった歴史を自立的な歴史に書きかえようと
奮闘した。それを日本の左派学者たちが虚偽の学説で支援しつづけた。
彼らは言った。朝鮮の農村マニュファクチュアは1860年代に成立していた、と。日本では
桜田門外の変の頃である。あり得べくもない話だが、その資本主義の萌芽を植民地日本が
摘んでいったのだと、韓国の左派学者は主張した。ちなみに現在のイギリス史では、
農村マニュファクチュアが資本主義の萌芽になることを既に否定している。毛織物では寒い
地方しか着ないから販路が狭すぎる。独立自営農民たるヨーマンは、もうけると皆地主になった。
資本主義は綿織物をもってインドとの三角貿易に従事したジェントリーが起こしたものである。
これを現在のイギリスで「ジェントルマン資本主義」と称している。(>>3-10につづく)