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・520人の犠牲者を出した昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故は12日で発生から25年を迎える。
今年も遺族や関係者らが墜落現場の「御巣鷹の尾根」に慰霊登山し、犠牲者の冥福と空の
安全を祈る。単独機として世界最大となった惨事も四半世紀がたち、風化の危機に揺れる。
関係者たちは事故の教訓を次世代に引き継ごうとしている。
昭和60年8月12日、日航123便は約30分の迷走の後、午後6時56分、墜落した。現場と
なった御巣鷹の尾根がある群馬県上野村で民宿を営む飯出八紘(やひろ)さん(68)は
事故直後を除き、尾根には決して足を踏み入れず、記憶を封印しようとしてきた。
機体の残骸や、引き裂かれた遺体が散乱する現場で、地元消防団員として生存者の捜索に
加わったが「生き地獄」を目の当たりにした衝撃はあまりにも大きかった。
心境に変化が生じたのは、宿泊客との何気ない会話がきっかけだった。「日航機の事故って…。
何ですかそれは」。若い宿泊客の反応にがく然とした。「私たちにとっては、忘れたくても
忘れられない出来事なのに、風化しつつある」と危機感を抱いた。
最近では、宿泊客に、ビデオテープのニュース映像を見せるなどし、当時の話を聞かせている。
「二度と事故を繰り返してはいけない。そのためには忘れないことが大事だ」。
ただ、心に刻まれた傷は深い。記憶の封印こそ解いて惨事を語るようになったが、御巣鷹の
尾根にはまだ登ってはいない。
日航は事故後、遺族らが求め続けてきた、回収した機体の保存や展示を一貫して拒み
続けてきた。「『忘れたい』というほどつらい経験だったかもしれない」。日航安全推進本部の
鈴木海太グループ長(44)は振り返る。
しかし、平成17年に相次ぐ運行トラブルで国土交通省から事業改善命令を受け、「空の安全を
守る使命感」を示す必要に迫られ方針を転換。18年、羽田空港に「安全啓発センター」を開設し、
残存機体や遺品の展示、公開に踏み切った。
遺族らによる講演も随時行われ、他社からも見学に訪れるなど、現在では企業の安全意識
向上の場として定着している。(>>2-10につづく)
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