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日韓併合時代には、日本は国内を犠牲にしてまで朝鮮の発展のために
尽くした。
■5.開発をささえた資金源は■
こうした膨大な開発投資、産業保護を可能にした資本はどこから
出てきたのだろうか。
宇垣総督時代の総督府予算は昭和5年で、約2億円の規模であっ
た。それに対し、朝鮮内部の税収は5千万円程度。日本の政府予算
(すなわち日本国民の税金)から、毎年千数百万円から2千万円の
規模の補填がなされた。この予算獲得のため、総督府の関係者が帝
国議会や大蔵省の説得に奔走したというから、官僚の世界は今も昔
も変わりない。それでも足りない分は、日本の金融市場から集めた
公債によってまかなわれた。[1,p142]
ちなみに大英帝国支配下のインドでは、その予算の1/3を国防
費の名目で、イギリスに納めていた。それにも関わらず、第2次大
戦で徴集した264万人のインド兵の費用は、イギリス人将校の給
料も含めて、インド自身に負担させていたという。[1,p179]
朝鮮総督府の事業は、その他にも教育の普及、工業発展など多く
の面にわたる。その投資は、結果的に見れば、すべて日本からの持
ち出しで、我が国の経済に大きな負担となった。
しかし戦後の韓国は、このインフラを踏み台に、自由民主主義国
として発展した。外交面での摩擦は続いているが、台湾とともに、
ある程度豊かな自由民主主義国家が近隣にあるということは、我が
国の現在の国益からみても、計り知れない価値を持つ。
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