10/08/04 18:06:27 Q7kFnool0
1904年の歳入は750万円。
1910年~の36年間で予算は4600万円から31億円になる。67倍。
1910年までに日本からの無利息無期限借入金1328万円、公債3330万円。
1910年の予算は4600万円その内日本からの補充金1235万円。
1919年以外年平均15~20%の補充金で財政を支える。
補充金は1944年までに計24億3000万円前後にのぼり総督府官吏の給料はすべて日本政府が負担した。
当時現地でまかなうのが常識だった予算の3~4割に及ぶ国防費もほぼ日本政府が負担、
合計20億8500万円を内地国民の税金で負担した。
インドでは予算の約3分の1をイギリスに納め、第一次世界大戦では133万9千人の派遣軍とその通常維持費を負担。
1920年から1941年まで22年間におよび朝鮮経済保護のために内地からの製品に対して移入税を課した。
1937年12月志願兵制度施行、殺到する。
1938年からの倍率は7,26倍。20,43倍。28倍。45,12倍。62,37倍でこのときの志願者は25万4273名。
1943年採用6300人に対し志願者30万3294名で倍率は48,14倍。採用された志願兵は計1万7664人。
1944年徴兵制実施。
1945年の税収は6億4000万円。
また別途併合前より陸軍士官学校への留学が許されており、王族や転籍以外でも中将にまで昇進したものが複数いる。