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本人によれば上述のように勉強は出来なかったが、子供の頃より生涯に渡って強い関心を持ち続けることになったのがラグビーである。
『森喜朗全人像』『あなたに教えられ、走り続けます』『自民党と政権交代』など森の著書やインタビューによれば、ラグビーに最初に興味を示したのは父の茂喜であり、
戦時中トラック島空襲後同島に派遣された際には、部下を引き連れて捕虜と試合に興じて人心掌握にも有効活用したと言う[2]。
戦後の1948年、喜朗が小学5年生の時分に早稲田大学のラクビー部が父を頼って根上町に合宿にやって来た。この時の練習試合の様子を見て喜朗はラクビーに興味を持ち、
早稲田に行ってラグビーをやろうと決意し、練習に励むようになった。石川県立金沢二水高等学校時代は煙草を吸って処分された前任者に代わり、父親がPTAの会長であるから
事件でぐらついた部を主導せよという理由でラグビー部のキャプテンを務め、北陸三県大会で準優勝の成績を残した(当時はこの大会で優勝すると全国大会に進出できた)。
その活躍から、、父の知人であった当時の早稲田大学ラグビー部監督大西鉄之祐のスポーツ推薦を受けて、ラグビー部に入るという条件付きで
早稲田大学第二商学部に入学する
なんだ森元って商学部の2部じゃねーかwww