11/12/07 11:24:33.54
>>1の続き
独立門前で「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、多くの若者はそんなことも知らないのかと
憤慨しつつ「日本からに決まっているだろう」と答える。
しかし、そこで「でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは1897年だ。韓国併合は1910年だし、
光復(独立)は1945年だろう。それ以前の話なんだよ」と言うと、彼らは絶句し思考停止してしまう。
先程「つらい国」という言葉を使った。侵略を受けながらそれを「恩」と呼び、その「恩」をもたらした野蛮な
国の皇帝に、代変わりのたびにすべての朝鮮国王は「土下座」しなければならなかったのだから。
当然、侵略は「政治」だけではなく「文化」の面にも及ぶ。
たとえば、唐軍を何度も撃退した高句麗の淵蓋蘇文(えんがいそぶん)は、日本の史料には「いりかすみ
(伊梨桐須彌)」と記されている。当時の発音ではそうなるらしい。日本語と韓国語は同じ系統の言葉だが、
中国語とは音韻も文法もまったく違う。だから、新羅が中国一辺倒路線を取るまでは「金○○」のような
中国式名ではなく、民族のオリジナルの名前があったはず、ところがこれは今一切消えている。つまり、
中国式に「創氏改名」を国民に強制したということだろう。
だからこそ、名君世宗が「ハングル」を作ろうとした時、臣下たちは「漢字(中国文字)こそ文字であり、
民族固有の文字など有り得ない」と大反対したのである。それを押し切った世宗も「これは文字ではない
(中国文化に対する反逆ではない)、訓民正音(愚かな民に発音を教える記号)に過ぎない」と言わざるを
得なかった。
ハングルは当初から「ハングル(偉大な文字)」であったわけでは決してない。むしろ文字であることを
拒否されたのだ。それも、言ってみれば「中国の文化侵略」であろう。「骨の髄まで」とはそういう意味だ。
それがわかっていないと、迎恩門破壊がどれほど嬉しいことであったか、当時の人々の気分はわからない。
その中には当然、日本に感謝し、日本に頼ってこそ韓国の未来は開かれると思った人々もいた。もっとも、
日本がその期待に完全に応えられた、とは到底言えないだろうが。
しかし、日本が韓国になした功もある。
それは中国のもたらした儒教体制の破壊である。
身分制度、西洋の優れた技術や制度に対する嫌悪、頑固な保守主義―いわゆる韓流ドラマはこのあたりを
ゴマカシているが、朝鮮王朝が続いていたら一体どうなっていたか?
朴正熙大統領は自著「韓民族の進むべき道」で言っている。
「四色闘争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的
犯罪史である」と。儒教体制は「祖法(先祖の定めた法)」を変えるのは第一の悪徳である。
すなわち儒教体制がある限り、近代化はまったく不可能だ。それを破壊したのは日本である。だからこそ
「訓民正音」は「ハングル」になれた。
一方、「独立は絶対に正しい」としてしまえば、その独立を妨げた日本は「徹底的な悪」にしなければならない。
その憎悪で国を団結させるというのは政治的な手段であって、歴史の真実とは別のものだ。
そして、真実とかけはなれたところで歴史を利用することは亡国への道である。
「日本海」は日本が領土的野心で言い出した呼称ではなく外国人がそう呼んだ。自然の成り行きである。
どうしても気に入らないから「東韓国海」にしたいというなら話はまだわかる。しかし「東海(トンヘ)」とは
何事か? 韓国はいつから世界の中心になったのか? それならいっそのこと、南シナ海も「南海」と
すべきだと中国に抗議したらどうか。
また、かつて中国スタンダードに反する「オリジナル」の許されなかった「つらさ」はわかるが、だからといって
なんでもかんでも韓国が発祥という「ウリジナル」は行き過ぎだろう。
尊大で傲慢な国になることは亡国への道だということ、繰り返すがこれが歴史の教訓なのである。 《完》