11/12/09 04:25:46.68 VaHWlaOq
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ところで、朴氏が「血分け」を否定するのは当然ですが、朴氏については否定するとか肯定するという以前の問題で、
そもそも朴氏は統一教会の合同結婚式に参加していませんし、
「私は本妻がありながら、慶州に一人、仁川に一人と、合計三人の女をかかえて四苦八苦していた」
(「朴氏著「私は裏切り者」、226頁)と告白している通りの人物ですから、
統一教会の宗教儀式について直接知りうる立場の人物ではないのです。
したがって、朴氏が過去に書いた「六マリアの悲劇」という本も、伝聞のデマ情報を攻撃材料としてマニュアル化したもので、
それをまるで「見てきたように」書いただけのものでした。
直接知らないからこそ、何でも推測で書きたい放題の作文ができる、ということも言えるかもしれません。
51:好雄兄 ◆e.MY6XgnM2GE
11/12/10 04:12:54.88 RmTJjQkL
世界日報 平成3年(1991年)12月7日 上昇気流
訪朝していた統一教会の創始者、文鮮明師が金日成主席と会談した。
日本海に面した街で、食卓を囲みながら終始なごやかな懇談だったという。
文師の「北」入りは衝撃だったが、この会談のニュースも世界を駆け巡っている。
この両者ほど立場が違う人もなかろう。
文師は敬虔な宗教家、金主席は神を否定する主体思想の持ち主。
文師がその若き日に、平壌で伝道した際に、「北」の官憲は文師を逮捕すること二度。
揚げ句のはてに刑務所に送り込んだ。
歴史を見ても、英雄並び立たず、の教訓が生きている。
聖書にある人間始祖アダムとエバの長男カインと二男アベルは仲が悪く、弟は兄に殺された。
源頼朝は自分の意にそわない義経を追撃した。
太平記の軸の一つに足利尊氏とその弟の確執がある。
兄弟げんかでも歴史を左右する。
まして、項羽と劉邦、劉備と曹操の争いは中国を戦乱に陥れた。
欧州における歴代のローマ法王と神聖ローマ皇帝の覇権闘争は、中世暗黒時代を形づくった。
個人でも民族が違い、思想が違い、宗教が違った場合、それを超えて和解することは至難の業だ。
まして、民族と民族、国家と国家はさまざまな利害が交錯するため和合への道は厳しい。
今日、冷戦後の東西両陣営でさえ、相互理解は進んでも、不信の影を落としている。
対立、闘争が残したさまざまな怨念を氷解させることは可能なのか。
文師はかねがね一つになることの唯一の道は、神の愛の実践、ために生きる精神しかないと説く。
文師の半生は、対立するものに和解の時と場を与えることだった。
文師の訪朝と金主席との会談は、南北統一と世界平和への第一歩だ。
52:好雄兄 ◆e.MY6XgnM2GE
11/12/10 04:16:21.72 RmTJjQkL
真の子女様たちが一世に不信感を持つ理由は、お父様の周りの幹部が、さまざまなプロジェクトを作り上げ、失敗したこと。
それによって、日本の血の出るような献金を浪費し、お父様を恥ずかしい立場に追い込んだことにある。
朴氏は、その中でも最大の功労者?であろう。
南米でのエメラルド開発などの空虚なプロジェクトもあったが、何といっても朴氏が教会に与えた最大の被害は、中国のパンダ摂理だろう。
1989年12月5日のヒューストン・クロニクルによれば、パンダ自動車は広東省恵州市に10億ドルを投資して、
年間30万台の自動車を生産する計画だった。
わずかに統一産業が、自動車の部品を生産していただけで、自動車生産の経験もない者が、壮大なプロジェクトを打ち上げたのである。
先が見えていたわけであるが、実際800億円(5.5億ドル)を投入し、巨大な外枠だけを建設して失敗した。
朴氏は、これによって中国共産党の協力を得て、北朝鮮に入って行くことができた。
そして、歴史的なお父様と金日成の会見を実現することができたと説明しているが、800億円という巨額の献金を投入しなくても、
可能だったのではないかと考えるのは私だけではないだろう。
いずれにしても、当時の日本は、霊感商法批判で経済活動が困難だった。
そのためこのパンダ摂理では、日本が借金してでも献金せよとの号令が下った。
その時から、日本統一教会員の借金地獄が始まったのは歴史的事実である。
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霊界晴れ晴れ~ヘ(゚∀゚ヘ)(ノ゚∀゚)ノ
天運到来~ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ( ゚∀゚)人(゚∀゚ )メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ
良いことが起こりま~す(゜∀。)アヒャ