【韓国】 なぜカヤ(倭)は滅んだのか~狭いところで戦うカヤの剣法が日本の剣道になった[11/30]at NEWS4PLUS
【韓国】 なぜカヤ(倭)は滅んだのか~狭いところで戦うカヤの剣法が日本の剣道になった[11/30] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
11/12/01 23:50:16.77

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前の文で私はカヤ(倭)が高句麗よりはるかに大きな国だったと主張した。その理由として広開土
大王碑文で広開土大王が心血を注いだ戦争はカヤ(倭)の勢力を制圧するためであったこと。
また、中国の四川省宝州で生まれた王女、許黄玉がカヤに嫁入りしたといった。これはカヤの勢
力圏が中国長江の上流にまで及んでいたことを立証すると主張した。このようなカヤはなぜ滅び
てしまったのか。

第一に広開土大王のカヤ遠征が契機になったのは言うまでもない。しかし滅亡には至らなかった。
二番目は鉄のために滅びたと見る。鉄で栄えて鉄で滅びたのが皮肉だ。

モンゴルのスブタイ(1176~1248)は八千キロの大遠征を通じてロシア、ポーランド、ドイツ、1221年
から1241年まで東ヨーロッパのすべてと西ヨーロッパのイタリア北部、アルプスを越えてウィーン
まで達する。これらの前に十字軍戦争で名声を得たヨーロッパの中騎兵は秋風落葉だった。鎧に
長い槍で武装したテンプル騎士団(フランス)、チュートン騎士団(ドイツ)等は軽い身なりで風より速
いモンゴルの軽騎兵に抹殺された。

広開土大王の高句麗軍とカヤの中騎兵の戦争も同じだった。舞踊塚の壁画を見よ。馬上で虎を
狩る高句麗の弓師らは羽毛のように軽い服を着ている。しかしカヤの常人らは鉄を全身にまいた
だけでは足らずに馬にも鉄鎧を着せた。なぜカヤの人々はあのようにやぼったい鎧を着て馬に乗
ったのだろうか。重い鎧が戦闘に有利でないことが分からなかったのだろうか。

カヤの鉄甲服と騎馬人物象を見た私は疑問に包まれた。その後、偶然に日本剣術の動画を見た
時、膝を打った。そうだ。日本の剣術はカヤの剣術であろう。船舶や部屋のように狭い空間で相手
を制圧するものだ。ソン・ジョンソンは『百済・伽耶そして倭』で日本列島を最初に統一した応神天
皇(在位390-427)はカヤ人で日本の大和王朝はカヤ王朝という。カヤ人たちはなぜあのような剣
法を創案したのだろうか。

それは船に鉄をのせて取り引きし、不意の盗賊と戦わなければならない場合があるからだ。相談
中、不意の奇襲に備えて全身に鉄鎧をまき、狭い場所で敵を制圧するための剣法を創案したの
だ。カヤの剣法が今、日本の剣道になったのだ。こういう状況で開発することになった鉄甲服を馬
にも着せて高句麗の侵入でも適用したのだ。
(後略)

ソース:プレシアン(韓国語)
東洋学:広開土大王碑文の翻訳と読む18.渤海の大祚榮、伽耶を滅亡させる
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