【北朝鮮】脱北者が語る「イヌにも劣る収容所暮らし」 ジュネーブで開かれた北朝鮮人権国際会議で証言[11/29]at NEWS4PLUS
【北朝鮮】脱北者が語る「イヌにも劣る収容所暮らし」 ジュネーブで開かれた北朝鮮人権国際会議で証言[11/29] - 暇つぶし2ch1:九段の社で待っててねφ ★
11/11/29 19:38:11.80

 「13歳のとき、訳も分からないまま家族全員が平安南道北倉郡鳳倉里の18号管理所(政治犯収容所)に
連れて行かれた。28年間収監され、40歳を過ぎて出所した。管理所を出てから、ずっと前に祖父が韓国に
渡ったために収監されたという事実を知った」

 今月23日にスイスのジュネーブで開かれた第11回北朝鮮人権・難民問題国際会議で、2009年に脱北して
韓国に入国した女性、キム・ヘスクさん(49)=仮名=が、北朝鮮の政治犯収容所の惨状について生々しく証言した。

 平壌で生まれたキムさんは、13歳だった1975年2月に家族全員と共に政治犯収容所に収監され、02年8月まで
28年にわたり「イヌにも劣る暮らしを送った」と語った。

■「イヌにも劣る収容所の人間」

 収容所で弟2人が生まれ、キムさんも結婚して2人の子どもをもうけた。しかし父方の祖父、両親、弟、夫は全て
収容所で亡くなった。2人の子どもは収容所を出てすぐ、03年8月の洪水で命を落とした。

 キムさんは、中学校を卒業した16歳の時から、炭鉱で1日16-18時間も石炭を掘る重労働を強いられた。
右手の親指は石炭掘りの作業で切断され、頬には石炭の粒が当たってできた真っ黒な傷が残っていた。

 強制労働で苦しんでいるにもかかわらず、家族7人に対する1カ月の配給量は、6―7キロのトウモロコシが
全てだった。キムさんは「とにかく、おなかいっぱい食べることが唯一の願いだった。地獄のようなあの場所で、
自分の子どもを食べてしまった女性を2人も見た」と語った。

■父を思い続けて42年

 「私が2歳の時、国際赤十字委員会など国際社会に父の送還を訴えるために撮った家族写真だ。あれから
42年が過ぎたが、父は帰ってきておらず、生死の確認もできていない。そのため再びこの写真を持って、
ジュネーブを訪れた」

 色あせた写真を見せたのは「1969年大韓航空機拉致被害者家族会」のファン・インチョル代表(44)。
ファン代表の目は赤かった。ファン代表は、69年12月11日に大関嶺上空でハイジャックされた大韓航空機の
乗客の1人、嶺東MBC放送(現在の江陵MBC)でプロデューサーを務めていたファン・ウォンさん(当時32歳)の
長男だ。北朝鮮は事件直後、国際社会から非難が集中したことを受け、70年2月に乗客・乗員50人のうち
乗客39人を送還したが、ファン・ウォンさんを含む乗客7人と乗員4人の合わせて11人の身柄は解放しなかった。
ファン代表は「父が拉致されて以来、母は徐々に正気を失っていった」と語った。ファン代表の母親は現在、
精神病院に入院しているという。

 北朝鮮人権市民連合とヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)、ブラジルの人権団体「コネクタス」が共同で主催し、
本紙などが後援したこの日の会議には、国連人権理事会の理事15カ国の代表や人権団体の関係者など、
合わせて100人余りが出席した。
ジュネーブ(スイス)= アン・ジュンホ記者

ソース   朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2011.11.29
URLリンク(www.chosunonline.com)
北朝鮮の政治犯収容所での収監生活を経験したキム・ヘスクさんが、人権じゅうりんの実態を生々しく語っている。
/写真=アン・ジュンホ記者
URLリンク(www.chosunonline.com)



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