【韓国人社会】離散の朝鮮族-米国の場合 亡命申請より不法滞在を選ぶ[11/18]at NEWS4PLUS
【韓国人社会】離散の朝鮮族-米国の場合 亡命申請より不法滞在を選ぶ[11/18] - 暇つぶし2ch3:天の書記φ ★
11/11/18 20:34:11.45
>>2の続き

ここで朝鮮族は選択の岐路に立つ。密入国直後亡命申請をするならもう一度大金が必要だ。ところが
直ちに返さなければならない「ブローカー費用」がある。3万5000~4万ドル(約268万円~307万円)
のブローカー費用を返すのに1~2年はかかる。送金を待つ中国の家族を無視して法廷にすべての収入
を捧げることはできない。亡命を許されても中国にいる家族がまた別の政治的圧迫に処するかと思う
と恐ろしい。大多数の朝鮮族は結局不法滞在を選ぶ。


ソウル、加里峰洞(カリボンドン)のようにニューヨークフラッシングにも「成功した朝鮮族」が少
しずつ生まれている。金を貯めた朝鮮族が直接店を運営するのだ。フラッシングだけでも朝鮮族食堂
が10個所余りある。韓国人商圏が崩れている隙間に食い込んだ彼らだ。

在米韓国人はニューヨークでやっと商圏を形成したが、彼らの子供は高い学歴を土台に専門職に進出
している。韓国人商圏の「世代伝承」が断絶したのだ。米国朝鮮族には機会であり危機だ。労働者か
ら社長へ身分上昇を試みる機会だが、韓国人-朝鮮族をつなぐ商圏全体の流動性はより大きかった。

朝鮮族食堂を営むキム・イル(49)氏は「韓国人の店が減りながらコリアタウンが辺境に押い出され、
代わりにチャイナタウンがますます大きくなっている」と話した。朝鮮族食堂のお客さんさえ3分の1
が中国人だ。韓国語・中国語を同時に駆使する朝鮮族としては急増する中国人が嫌いではない。ただ
し閉鎖的な中国人商圏が朝鮮族商人らと共存できるかかはさらに今後を見なければならない。緩衝役
割をした韓国人はさらに裕福な町内に度々抜け出ている。


米国朝鮮族が現地で「民族再生産」に成功するかも不透明だ。彼らは大部分が子供たちと離れて暮ら
している。両親世代は千辛万苦に耐えて金を稼いだ。両親の経済的後援を土台に中国東北で生まれた
子供は中国大都市に進出した。若い彼らは「底辺から始めるのは嫌いだ」として米国行を敬遠する。
最近になって密入国取り締まりが激しくなり、米国景気が沈滞して「以前にはおよばない」という評
判が朝鮮族の間に広がった状態だ。アメリカに住む両親と中国に住む子供の距離は太平洋ほどの幅に
広がって固着されている。朝鮮族の家族は中国・韓国・米国などに散開し懐かしさで生を満たす。

ニューヨークで宿泊業をするキム・チョンイン(仮名・41)氏は最近韓国で「家族の集い」を開いた。
中国、吉林省、延吉(ヨンギル)に住む母親、韓国に嫁入りした姉に会った。血縁は何年ぶりかに顔
を突き合わせたが多くの対話はできなかった。どこから話を始めるべきか分からなかった。いつまた
会えるかキム氏は自信がない。米国で会った朝鮮族は「お金をもっと稼いで故郷に大きな家を作って
ちりぢりに散った家族が再び集まって一緒に暮らす」夢をたびたび語った。


■4代にわたるイ・ギョンチョル(仮名・56)氏家族の離散
URLリンク(img.hani.co.kr)
イ氏は中国遼寧省瀋陽で生まれ育った。やはり瀋陽で暮らしたイ氏の祖父には二人の弟(妹)がいた。
彼らは韓国と中国で別々に暮らした。日帝強制占領期間に韓半島と中国大陸を行き来して生活した曽
祖父によって祖父兄弟の離散が始まった。解放・分断を経て兄弟は再び会うことはできなかった。激
変の歴史から始まった「意図しない」離散だった。イ氏の父親は一生を瀋陽で送って亡くなった。中
国東北地域に朝鮮族が集団居住した時期にイ氏の父親は中国の地を離れようとは思わなかった。しか
し50代に入り込んだイ氏の三兄弟は中国の大都市と農村、そして米国に散らばっている。より良い暮
らしのために「積極的・自発的」に家族の離散に耐えている。イ氏の子供とおい(めい)は最初から
中国を離れた。30代の彼らは米国ニューヨーク、日本東京、韓国ソウルなどで各々生きている。中国
でも韓国でもないところで新しいアイデンティティを形成する朝鮮族の若者たちが生じたのだ。


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