11/11/18 20:33:47.71
>>1の続き
去る7年余りの間、キム氏は米国、ニューヨークの韓国人または、朝鮮族の食堂で働いた。月3000ド
ル(約330万ウォン=約22万円)を稼ぐ。韓国の食堂で仕事をした90年代末には月90万ウォン(約6万
円)を受け取った。一緒に働いた朝鮮族の友人たちと時々連絡するが「この頃は月160万ウォン(約
11万円)まで受け取れる」という話を聞いた。それでも米国とは比べものにならない。所得の3分の2
は中国の家族に送っている。韓国・米国生活を加えて12年以上も離れて過ごした家族だ。腹の中を真っ
黒に焦がして生き別れに耐えて育てた息子はもう20代半ばだ。別に過不足なく育ったのでキム氏の賭
博は成功したわけだ。
その可能性を見て7万人余りの朝鮮族が米国に留まっている。「米国の加里峰洞(カリボンドン)」
はニューヨークフラッシングだ。朝鮮族5万人余りが米国東部のニューヨーク・ニュージャージーな
どに密集している。その中でもコリアタウン・チャイナタウンが共存するフラッシングに朝鮮族は居
を定めた。彼らは主にネイルショップで仕事をしている。朝鮮族の男性も爪を整える仕事を拒まない。
亡命申請をしようとすればお金がとても多くかかるため7万人余りの中の大部分が不法滞在を辞さず
に子供たちの面倒を見る。
米国の朝鮮族は米国の韓国人経済圏に従属している。ネイルショップは在米韓国人が切り開いた業種
だ。ニューヨーク韓国人ネイル協会によれば、ニューヨーク州だけで3500店余りのネイルショップが
ある。従事者は3万人余りだ。ここで仕事をしようとする韓国人青年は珍しい。ニューヨーク一帯に
居住する5万人余りの朝鮮族は韓国人ネイルショップの社長が最も好む労働者だ。話が通じるだけで
なく繊細な手先まで備えている。朝になればフラッシングの路地ごとにネイルショップたちが運営す
る小さなシャトルバスが通う。朝鮮族労働者はバスに乗ってニューヨーク、マンハッタンまで出て行
き仕事をする。
ジェニファー(仮名・54)の右手は10年間マニキュアブラシを掴んでいる。米国、ニューヨークのネ
イル店には彼を訪ねてくるお客さんが多い。米国人、韓国人、中国人を迎えて英語、韓国語、中国語
を使う。英語は下手だが大きな支障はない。「何色にしましょうか?マッサージはお望みですか?」
疑問文がいくつか言えれば充分だ。彼の米国での名前は韓国人社長が付けた。韓国と中国で通じる漢
字名のもあるが、今はジェニファーはジェニファーと呼ばれるのが一番気が楽だ。
URLリンク(img.hani.co.kr)
フラッシング通りには朝鮮族が営む食堂も生まれている。通り沿いのある朝鮮族食堂が台所補助を求
めているというお知らせが貼ってある。
中国、吉林省延辺出身のジェニファーは2001年に米国にきた。去る10年間、米国で不法滞在をしなが
ら二人の娘を育てた。長女はカナダへ留学し中国人と結婚した。二番目は日本留学を終えて中国北京
のある大学に入った。「私がここで底辺生活をしたから可能なことでした。今はこれ以上苦労したく
ないが…。」お客さんの爪から目を離さないままジェニファーが話した。
米国朝鮮族7万人余りの相当数は不法滞在中だ。米国永住権または市民権を得る方法があることはあ
る。「中国で政治的・宗教的圧迫を受け避難してきた」として亡命を申請する朝鮮族がいる。裁判を
行わなければならないが、その費用として1万ドル(約1100万ウォン=約74万円)を渡すのが常だ。
裁判結果は楽観できない。密入国以後に一定時間が経った後に亡命申請をしたとすれば、楽観的予測
はより一層難しい。亡命理由の真実性を裁判所が認めないためだ。
太平洋を挟んで米・中・韓に離散した両親・子供・兄弟は懐かしさで生を満たす。「故郷に大きな家
を作って一緒に暮らすのが夢でしょう。」
>>3へ続く