【韓国人社会】離散の朝鮮族-米国の場合 亡命申請より不法滞在を選ぶ[11/18]at NEWS4PLUS
【韓国人社会】離散の朝鮮族-米国の場合 亡命申請より不法滞在を選ぶ[11/18] - 暇つぶし2ch1:天の書記φ ★
11/11/18 20:33:08.29
URLリンク(img.hani.co.kr)
今年7月、米国ニューヨークのネイルショップで朝鮮族ジェニファー(仮名)氏がお客さんの足の爪
の手入れをしている。中国、吉林省出身の彼は10年にわたり米国に不法滞留して金を稼いでいる。

1990年代末から2000年代中盤に至るまで朝鮮族7万人余りが「アメリカンドリーム」を抱いて米国に
渡った。その多数は不法入国をした。亡命申請後に身分を得るケースもあるが、不法滞留者として生
きていく人も多い。彼らは韓国人が集まって暮らすニューヨーク・ロサンゼルスのネイルショップ、
指圧店、食堂などで働いている。彼らの家族は中国東北や沿海・内陸の大都市、そして韓国と日本に
散って暮らしている。彼らは地球的次元の離散集団だ。

米国連邦政府国土安保部所属国境守備隊は拳銃または小銃で武装した。緑または黒の防弾チョッキを
着て米国・メキシコ国境一帯を虱潰しに捜索する。密入国者は彼らの銃弾に留意しなければならない。
メキシコ議会報告書によれば、1994~2007年の間に少なくとも4500人のメキシコ人が密入国途中に死
亡した。どれほど多くの朝鮮族が異郷万里の砂漠で亡くなったのかを明らかにする統計はまだない。

韓国旅券を持って米国に到着した後、キム・ヨンヒ(仮名・50)氏は自身の幸運を痛感した。殺伐と
した米国境守備隊にぶつからなかったのは多くの幸運の中の一つに過ぎなかった。ある朝鮮族は1年
を越えて世界各地を歩き回った。偽造パスポートを摘発しない「粗末な国家」を何度も経てアフリカ
大陸のガーナまで行ってきた。国境地帯の砂漠を歩いて落伍した朝鮮族もいる。近所を通り過ぎた別
の朝鮮族密入国一行がいて命拾いした。ある朝鮮族の女性は国境守備隊を避けてサボテンの隙間に隠
れて全身に棘が刺さった。アメリカインディアンが釣り針として使った巨大な棘だ。「棘の刺さった
跡を私に見せてくれたけど…ふぅ。」キム氏は直接体験したことのように鳥肌を立て涙を拭った。

ブローカーに数千万ウォンを払って得た偽造パスポートで多くの辛酸と苦難の末に米国に入り込み大
部分はネイルショップで仕事をしている。

難しい「メキシコルート」に朝鮮族が登場したのは1990年代末だ。その道に沿って米国に密入国する
朝鮮族の数は2000年代中盤に頂点に至った。それは韓国政府の不法滞留者取り締まり時期と符合する。
1992年韓-中修交以後「産業研修生」資格で国内に入ってくる朝鮮族が急増した。2年の期限を越し
て長期滞留する朝鮮族も増えた。90年代末から政府は不法滞留者取り締まりの強度を高めた。数百万
ウォンのブローカー費用を払って韓国行ビザを得た朝鮮族にとって強制追放は個人の破産はおろか家
族の絶滅を意味した。朝鮮族は代案を探した。

その代案はすべての朝鮮族に当てはまるものではなかった。米国行のためにブローカーに渡す費用は
一時4万ドル(約4400万ウォン=約296万円)まで沸騰した。中国東北地域で農業に従事していた朝鮮
族にとって、それは想像外のお金だった。中国から直接米国行を選ぶ場合、その費用は大部分が借金
で充当された。不法滞在取り締まりを避けようとする韓国の朝鮮族は何年も粘り強く働き貯めたお金
を米国行にかけた。韓国行が投資ならば米国行は賭博だった。


心を鬼にして2003年に米国に渡ってきたキム氏も韓国で金を稼いだ。キム氏は中国、吉林省延辺で生
まれた。夫が病気で寝つくと金を稼ぎに韓国に渡った。1998年から5年間、食堂で働いた。故郷に置
いてきた息子はその間に中学生になった。子供の面倒を見る期間はまだ星のようにたくさん残ってい
たが、夫は相変らず稼ぎがなかった。キム氏は韓国で稼いだ金に中国で借りたお金を合わせて米国行
を斡旋するブローカーに会った。

>>2へ続く


ハンギョレ・サランバン/日本語(2011/11/18 08:34)
※原題 [朝鮮族大移住100年]<2部>流浪①離散の海 太平洋を越えて‘ネイルショップの悲しみ’
URLリンク(blog.livedoor.jp)


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