【韓国】 「伊藤が公爵で安重根義士が殺人者?」~ロシアが公開した義挙記録文見て茫然自失[11/09]at NEWS4PLUS
【韓国】 「伊藤が公爵で安重根義士が殺人者?」~ロシアが公開した義挙記録文見て茫然自失[11/09] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
11/11/09 23:23:29.52

[特別寄稿]イ・イング鶏龍(ケリョン)建設名誉会長

1.今回、ロシア政府が承認しサンクトペテルブルク政府文書展示場で公開した安重根義士義挙前
後の記録は隠されていた記録が100年ぶりに公開されたが、これらの記録がすべて真実と見るの
は難しいと主張せざるをえない。
(中略)

2.ロシアを崩壊させ戦後ロシアを料理しようとした元凶の末路を目撃したロシア高位級幹部(外交
官、軍人)はロシア政府に報告文を送った。今回、公開されたものがほぼすべてなのに、報告書の
内容と表現に茫然自失せざるをえない。伊藤博文を公爵、安義士を‘殺人者’‘犯罪者’と表現し
たのだ。そして博文の葬式にはロシア弔問使節団を送るべきという現地公館長の報告もあった。

当時、日本は日本最大最強の関東軍を満州に駐留させ満州一円の軍政を敷いていた。身の振り
方をうまくしなければ第2の日露戦争を心配する境遇に置かれたのがロシアの立場であっただろ
う。今回公開された歴史記録(報告書)は感情をだまして日本の顔色を見て作成されたと見なけれ
ばならない。

3.安義士はロシア捜査陣に実名を騙って仮名を使い、適当な身分と現住所を明らかにして、同志
を保護するため共謀者はいないと述べた。取り調べ中「伊藤博文が息をひきとった」というロシア
捜査官らの話を聞いた安義士はむくっと起きて「使命を果たしたことを神に感謝する。」と祈ったと
いう。

その日、身柄が日本憲兵隊に引き渡されはじめて安義士は真実を明らかにしたという。実名は
‘安重根(アン・ジュングン)’職業は‘大韓民国独立軍副司令官’共謀者は‘ない’とし偉業の動機
は「私は軍人の身分だ。軍人が戦闘で敵を殺すことがなぜ殺人になるのか?ただ軍人の本分を
つくしたのだ。」「私は法律違反者ではない。不幸にして捕虜になっただけだ。私はジュネーブ協定
で定めた戦争捕虜待遇を受ける権利がある。」「私は人間、博文を殺害した殺人犯ではない。アジ
アの平和を蹂躙する元凶をなくしたのだ。私は平和な者だ。」「遠からず日本は凄惨に崩壊するだ
ろう、その時、日本の人々が日本亡国の元凶はすなわち博文と自覚する時がくる。」

「為国献身は軍人の本分」という揮毫はその時、捜査官に書いた揮毫だったという。ハルビンで安
重根義士の身柄を引き受け受けた責任者は関東軍司令部特務部隊所属の千葉十七という特務
上士で6カ月後、銃殺される時まで麗水順天監獄に収監された安義士の監視責任者であり保護
者であり安義士関連手記を書いて後代に詳しく記録を伝えることになる。

千葉は安義士処刑後すぐに懺悔して自主的に除隊し、故郷の宮城県に隠居した。安義士の多く
の揮毫をかけて敬い、7年間一日も漏らさず一日三食霊前に奉献して参拝した。そして、この資料
一つだけ息子に伝えて「私の手記と安義士の遺品を立派な文筆家にお願いして本として出版して
くれ。」という遺言を残し、息子は著名な論述家であり小説家の‘斎藤泰彦’住持僧侶(大林寺)にお
願いして出版した本が‘わが心の安重根’という小説でこの本は一時、日本のベストセラーになっ
たことがある。

この本の副題は‘千葉十七、合掌の生涯’であり表紙に次のような主題が大きく記されている。
「伊藤博文を殺害した安重根を日本は死刑に処した。その真実を裁いたのは誰であったか?今、
歴史の審判を下さなければならない。日韓問題の原点に鋭くメスを加える切切たる歴史小説」と
付けた。

この本を読んで感動した宮城県の山本壮一郎知事は現職知事の名前で顕彰碑をたてて安義士
が英雄であることを記録した。その本には「今も東京都中心街には公園ほどの広い伊藤博文の古
宅が保存されている。日本をついに滅びるようにした日本民族反逆者の古宅を政府が保存する
必要があるのか?いっそ平和な者の安重根英雄の霊廟と記念館をそちらにたてなければならな
い」と主張もしている。

ソース:忠清(チュンチョン)トゥデイ(韓国語) ロシアが公開した安重根義士義挙記録文を見た有感
URLリンク(www.cctoday.co.kr)



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