11/10/30 12:51:27.61 i9X+1o90
『日本が鎖国の国法をたてに通商を認めないのは天の道理にそむき、その罪は大きい。
通商をひらくことをあくまで承知しないならば、われわれは武力によってその罪をただす。
日本も国法をたてに防衛するがよい。戦争になればこちらが勝に決まってる。
降伏するときは贈っておいた白旗を立てよ。そうすればアメリカは砲撃をやめ和睦することにしよう』
実際ペリー艦隊はすでに砲門を陸に向けていつでも火を吹けるよう準備してました。
結局、こののち日本は、関税の額や割引を独自に決めることもできず、外国人の犯罪を
日本でさばくこともできない不平等な条約を諸国と結ばざる得ませんでした。
武力を背景に弱い国を脅して要求をのませたペリーのやり方は乱暴きわまりないことです。
ところで、白旗は源氏の旗でした。そのなごりは今も学校の運動会に見られます。
白旗が降伏のサインであることを日本人はペリーの来航の時、はじめて知ったのです。
それから約九十年後、日本はアメリカと激しい戦争をして負けました。
だからアメリカの歴史教科書のなかには「日本は二度降伏した」と書いてあるものがあります。