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「朝鮮の人は即興曲の名手で、バイロンやワーズワースに劣らない詩人たち…。」
開化期の米国宣教師ホーマー・ハルバート(1863~1949)は、八道どこでも聞こえてくるアリランを
このように礼賛した。最近来韓したドイツのジャズグループ「サルタチェロ」のピアニスト、ピーター・
シンドラーは一段もっと上げる。「モーツァルトの音楽はあっという間に過ぎ去るが、アリランには
声の根源のエネルギーがある。」
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▲民族の歌、世界の歌へ…アリランはもう世界舞台で民族を代表する歌で席を占めた。
アリランに対する驚嘆と賛辞はこの他にも数多い。だが、その起源と全貌は相変らず神秘だ。最
初の民謡論をたてたコ・ジョンオク(1911~1969)は「朝鮮民謡研究」で「最初、ただ一個のメロディ
から出発したのは事実なようだ」と推定した。50種余りに6000余首という集計はあるが、いまだに
全貌は明らかになっていない。最近、国際文化財団が出した新刊「韓国のアリラン文化」(パク・イ
ジョン)はこれまで知られていなかったことの総整理に該当する。
(中略:アリランの起源、起爆剤はナ・ウンギュの無声映画)
◇日帝もアリラン活用しようとして
「日帝は1935年'非常時アリラン'を流布した。"アリランアリランアラリーよ/非常時この時分かって
いるか/国があってこそ家があり/家があってこそ身を置くよ/世界に照らせ太陽心/平和の旗をひ
るがえそう。」だが、アリランは抗日闘争の歌であった。1943年6月、臨時政府が発行した'独立新
聞'創刊の辞は「過去、朝鮮義勇隊と現在の韓国光復軍の旗が中国各戦場でひるがえり、アリラン
の歌は華南から華北に至るまで鳴り響いて…」と書いた。
◇外国人もひきつけた普遍的魅力
アリランの世界性を初めて取り上げ論じたのは1950年代末、作曲家イ・フンニョル(1909~1981)。
「アリランのメロディは簡単で単純だが他の国では探せない独特のものがある。他の民謡より、と
りわけ外国に紹介することができたため」だと書いた。
解放後には米軍が手伝った。1945年米第29師団が発行する'KOREA GRAPHIC(コリアグラフィッ
ク)'にアリランが紹介され、各種慰問公演の常連メニューであった。慰問公演のため訪韓した米国
ジャズ音楽家、オスカー・ペティフォードはアリランを編曲して'A-Dee-Dong Blues'というレコードま
で出した。1960年代、カントリー音楽の大物であったピート・シーガーのライブレコードにもバンジョ
ー演奏のアリランが入った。
1964年来、韓公演の時ナット・キング・コール(1917~1965)が歌った'アレイ-ライン'はライブアルバ
ムにそっくり入れられたし、1965年ポールモーリア楽団は'アリラン'を正規レコードにのせた。最近、
来韓公演したノルウェーの歌手インガー・マリエは「アリランは開かれた旋律を持った治癒的な歌」
といった。
韓民族アリラン連帯会議キム年甲常任理事は「伝統性と普遍性を共にそろえたアリランの創造力
は過去型でなく現在進行形」としながら「これに対する接近法も統合または広く拡張されなければ
ならない」とした。
ソース:朝鮮日報(韓国語) 世界的メロディアリラン、日帝も利用しようとした
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