11/10/19 03:15:25.82 L7F89aE9
>>492
「ハングルが禁止された」というのは、暴君と言われた燕山君の時代ぐらいしかない。
彼を批判する文書がハングルを用いて書かれていたために、それを書いた者を探索するための手段だったという。
焚書などは行われたが、実際の効力はさほど無かった。
しかも彼は在位わずか12年、30歳でクーデターにより王位を廃され、配流になりそのまま病死した。
彼の在位は1494年~1506年で、それ以前の15世紀後半に比べると、その後のハングル出版はいくらか沈滞する。
しかし廃れていたわけではなく、その後もハングルによる出版は続いたし、民衆にとっても、識字率は低かったものの、
文字を読み書きする際の「文字」とはハングルだった。
2chでは伝聞と拡大解釈により、「李氏朝鮮時代はずっとハングルが禁止されていた」とでも言わんばかりの
見解が出回っているが、これは全く事実に反する。
公的な文書には漢字漢文が用いられたが、それ以外の私的な場面ではハングルは盛んに用いられていた。
エリート階級だった両班も、公的な文書を書くには漢字漢文を用いたが、私的な手紙などにはハングルを用いた。
これは「諺簡」と呼ばれ、数多く残っている。国王・宣祖の書いた『御筆諺簡』(1603年)なども残っており、
ここからもハングルが禁止されていたなどというのは事実ではないことが分かる。
また、朝鮮語の詩歌である時調(日本語でいう和歌)を詠む際にも、両班階級の文化人がハングルを用いた。
固有語による詩歌なので、漢字漢文では書けないのだから当然だ。
さらに、漢字漢文を使った両班の人々が、朝鮮漢字音を学習するのにもハングルは用いられた。