11/10/11 01:41:31.57
(>>1の続き)
■最後まで抵抗できなかった被害者に非がある?
よく性暴力の被害者の両親たちは、「あなたも行動に気を付けるべきだった」と非難する。こういう非難に、子供はかえって心理的に
より孤立する。性暴力の被害者は「すべてのことが、みんな私の過ちのために起きたようだ」と、問題を自分の責任にして、自ら叱責
しやすい。その過程で、傷は倍増される。
性暴力が生じる加害行為は、他の様々な暴力的手段を動員する。そして、被害者は加害者より心理的、物理的、状況的、
関係的に萎縮しており、抵抗をするのが難しい場合が多い。したがって、「最後まで抵抗すれば性暴力に遭わない」と話すのは、
現実的でない。また、状況と条件を考慮せず、被害者の防御義務だけを強調するのは、性暴力の責任を被害者に負わせることに
なり、被害者により大きな傷を残す。
「そう、あなたは、すべきことは、みんなやった。あなたの誤りは1つもない。加害者が悪い奴なだけ。残りの仕事はママと大人たちが
きちんとする」。性暴力の被害に遭った場合には、このように被害者生徒に責任を転嫁しないよう、教育をするのが重要だ。
■短いスカートをはいているのが問題だ?
「小娘が短いスカートをはいているから、そんなことを体験するんです」。加害生徒の両親たちは、被害女子生徒について、
このように話したりもする。実際、男子生徒たちを対象に性暴力関連のチェックリストを実施すると、「女性の身なりが性暴力を誘発
した」という話に丸を付けることが多い。これは、被害者が、どのようにしたから、そのことが発生したと、責任を転嫁することに他ならない。
チュ所長は「講義をする際、いつも『焼肉屋の話』で例えます」と説明した。「道を歩いている途中、お腹がとてもすいていると、
焼肉屋から肉を焼くにおいがします。そういう場合には、誰もが食べたいでしょう。しかし、お金がありません。それでも店に入っていき
食べて、社長に、『社長、君の店が路上で肉の臭いを漂わせていて、思わず食べたことだから分かってくれ』とはしないでしょう。
そのように代価を払わずに他人のものを食べれば、処罰を受けねばならないというのは、誰にでも分かります。身なりの問題も同じと
考えるべきです。友人が短いスカートをはいたのは、他人に対して触れと提案したことではないことを、理解させなければならないのです。
私が性的好奇心を刺激することはあり得ても、それで他の人が刺激を受けた場合、どんな行動をして、どんな決定をするかは、
私が判断して決める問題ということを、知らせなければなりません」。
■男は本来、衝動的な動物だ?
「本来、この時期は衝動的でしょう」。加害生徒の両親たちがよく言う言葉だ。間違った教育だ。性的衝動がいくら強く、強い時期
だとしても、相手が願わないことをするのは間違っていることを、知らさねばならない。
男は本来、衝動的な動物という認識は、私たちの社会が男性の攻撃的・性的行動を自然なこと、または、男性的だと考えてきた
ためでもある。青少年性暴力でも、生徒たちが自分より幼い友人や体格が小さい友人などを対象に、自身の抑制された怒りや
衝動などを弱者に表出することがよく起きる。こういう問題行動について、「本能的に本来、そのようなことがあり得る」という類で
合理化を誘導すれば、それこそ誤った性価値観を育ててしましがちになる。
(終わり)