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●半月城先生の見解
論説、朴炳渉「明治時代の欝陵島漁業と竹島=独島問題(2)」
『北東アジア文化研究』第32号、2010.10、要約は以下のとおり。
(1) 竹島=独島は遅くとも1899年には欝陵島住民の漁業などで具体的に認識された。そう
した漁業をとおして日本領事館や日本政府などは竹島=独島を欝陵島の付属島と認識した。
(2) 大韓帝国末期、韓国各地の「石島」は [Seok do]と音読されたのではなく、全羅道で
は日本語表記で「トトク○ム」、その他の地域などでは「トルソム」「トリソム」など
と訓読された(水路誌)。これらは[Dok seom]や[Dol seom]に由来する。
(3) 1880年代、欝陵島民の半数以上は全羅道の石島近くの巨文島や初島から来た。石島を
全羅道の方言で[Dok seom]と呼ぶ彼らは、竹島=独島も[Dok seom]と呼称し、それが
1900年勅令41号に石島と漢字で表記されたであろう。
(4) 竹島=独島は1920年代にも[Dok seom]と呼称された(日本外務省資料)。戦後も米国
の占領軍文書などから呼称名[Dok seom]が確認される。
(5) 于山島の探索が現地で二度おこなわれたが失敗し、伝説の島になってしまった。その
ために于山島の名が勅令41号に記述されなかったと見られる。
(6) 竹島=独島を無主地として領土編入した日本の閣議決定や島根県告示40号などは、日
本の官報記事 (1905.9.18)「韓国鬱陵島現況」によって、竹島=独島が欝陵島の付属島
であり、欝陵島民が経済活動をしていたことが立証されるので、領土編入はその根拠を失う。
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