11/09/26 12:26:18.10
2011年09月26日11時45分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が1978年末までコード名「890」として核兵器
開発プロジェクトを推進していたことが明らかになった。国際問題英文ジャーナル「グローバル
アジア」編集長のムン・ジョンイン延世(ヨンセ)大学教授と編集委員のピーター・ヘイス
米ノーチラス研究所所長は26日に刊行される秋号で、「朴大統領が米国の圧力により76年末に
秘密核開発プログラムを中止したとされているが、77年以後もミサイル射程距離増大研究と
高性能爆発実験、核分裂物質実験など、核兵器開発と関連したプロジェクトを続けていた」と
明らかにした。2人は米中央情報局(CIA)が78年6月に作成した「韓国:核開発と戦略的
政策決定」などを分析した。以下はその要約。
朴正熙大統領の核兵器開発は1960年代末~70年代初期の北朝鮮の持続的な挑発と電撃的な
米中和解、米国の対韓防衛公約に対する疑念のためだった。朴大統領は74年末に核兵器開発
計画「890計画」を承認したが76年に米国の外交圧力により中断した。しかし77年1月に
カーター大統領が就任1週間で核兵器と歩兵2師団を韓国から撤収させるよう指示したことで
890計画の一部が再稼働された。国防科学研究所(ADD)に高性能爆発実験と化学武器開発
研究をするよう指示が下される。CIAは「高性能爆発実験は韓国が核兵器開発に方向を定める
場合に有益な研究だ」と話した。
77年9月にはミサイル研究陣も作業場に復帰した。CIAは「78年4月にADDは改良された
ナイキ-ハーキュリーズ地対地ミサイルの試験発射に着手した。朴大統領から『85年までに
射程距離3500キロメートルのミサイル開発計画』の承認を受けた」と付け加えた。CIAは
当時、「韓国の核兵器開発に対する確実な証拠は見つけられない」としながらも、「韓国が開発を
進めた核弾頭のサイズと重量はミサイル開発プロジェクトに照らし合わせると数キロトンから
20キロトンの在来式だろう」と推論した。
URLリンク(japanese.joins.com)