【書籍】 日帝治下の朝鮮人は虫けらも同然だった~ファン・ホドク成均館大教授著「虫と帝国」[09/02]at NEWS4PLUS
【書籍】 日帝治下の朝鮮人は虫けらも同然だった~ファン・ホドク成均館大教授著「虫と帝国」[09/02] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
11/09/03 11:59:17.70

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▲1937年、中日戦争を起こした日本軍が中国大陸を移動している様子。この戦争を契機に朝鮮
には全体主義的国家形態の戦時動員体制が入った。韓国日報資料写真

1930年代末、日帝の戦時動員体制で朝鮮人の人生は'虫'も同然だった。母国語を奪われた朝鮮
人は公的領域では話せない獣も同じだったし、日本の衛生的近代文物を受け入れられなければ
「ウジがわく人生」扱いされた。植民地の監獄を背景にしたイ・グァンスの<無名>(1939)は朝鮮のイ
メージを「閉じ込められてトイレ以外できない場所」と描く。人間になるためには帝国の国民になら
なければならず、その為に日本語をしゃべり日本の法律に従って何より軍人にならなければなら
なかった。<虫と帝国>という意味深長な本の題名が意味するところがすなわち統治対象を虫でな
ければ人間に分ける極端な統治体制だ。

新進国文学者のファン・ホドク成均館大教授が書いた<虫と帝国>は文学作品を通じて1930年代
末以後、後期植民地時期を扱った研究書で、単純な文学史や歴史書物の範疇をあっさり跳び越
える。最先端の哲学思想を適用し当時の暴力的国家体制を読み解く著者の問題意識が絶えず今
日の状況を喚起させるからだ。その体制が今でも繰返される近代国家の内在的特性でないかと
いう挑戦的な問いを投げる。

近ごろ注目されているアガンベンの「ホモ・サケル」(裸になった生命)の概念をかりた議論からも調
べている。「裸になった生命」とは「犠牲物に捧げる訳には行かないが、殺しても処罰を受けない
生命」を意味する言葉で、ナチ時代にユダヤ人を虐殺しても処罰受けなかったことが代表的事例だ。

著者はこれを獣扱いを受ける人間、非人と説明し戦時動員体制の朝鮮人がすなわち裸になった
生命だったという。日帝の朝鮮語抹殺や内鮮一体の統治は日本化できない朝鮮人を大規模な非
人にしたという説明だ。この時期は戦争に志願と人材を総動員するため法執行機関が機械装置
のように極度の効率性を追求した時、文学や芸術も国家の課題を遂行する技術と見て命令の執
行に近かったと著者は話す。当時の新しい人間像も国家メカニズムに服務する機械的人間に異
ならなかった。そのため、当時の朝鮮人の選択は二通り。非人に残るか、帝国の国民になって機
械になるかだ。

全体主義国家のこういう極端な状況は近代国家の例外ではなく、近代国家の特徴をそのまま表
わす一例というのが著者の挑発的主張だ。例えば、撤去民や不法滞在者、路上生活者などは今、
私たちの時代の裸になった生命だ。法秩序の外側に排除され政治の主体になることはできない
が、法秩序の内に抱き込まれた厳然たる統治対象だ。合わせて目的を問わない法執行の合理性
ばかり問う現国家の姿にもその官僚機械の属性が内在しているということだ。

著者のこのような議論は近代の核心原理を効率性と計算の可能性、価値中立性と見るマックス・
ウェーバーの観点に触れるものだ。ウェーバーが未来の人間を'気が気でない専門担当者と気楽
な享楽人'と暗鬱に見通したように、後期植民地時代を今日に引っ張って来る著者の見解も極め
て黙示録的だ。

こういう観点に同意できるかを離れてこの本の特長は西欧理論と国内現実が別々だった状況で
抽象的理論を具体的現実と作品分析にまで弾力的に適用、説得力を持って議論を展開させてい
る点だ。新しい理論を習得した学問世代が私たちの現実についても理論的な自分の声を出し始
めたことを知らせる。

ソース:韓国日報(韓国語) 真裸になった生命だった日帝治下の朝鮮人、虫と帝国
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