11/08/28 13:45:17.54 8o9RZFXt BE:1107491663-2BP(3303)
>>940
前言略……
馬:「この映画を作るの動機は?」
魏:「最初は趣味本位。最初は、霧社事件は、ただ歴史書の上の事件。
でも、ちょっと霧社事件を研究すると、段段ハマった。
なんだが、この事件が映画に作らないといけない、という使命感。
最初は、やったみたいだけの気持ち、最後はやめられないの感じ。
馬:「僕は気にしてるのは、台湾にとって、霧社事件はとても重要な事件。
民間の研究もいくらでも。2004年、国民党主席になるの時、その時の国民党も、
莫那・魯道(霧社事件の首謀)の巨大写真、国民党総部で飾る。
目的はその歴史を忘られないように。
その上に、その時は霧社事件75周年記念、自分もタイヤ族のところで行く、
記念大会で莫那・魯道の孫と面会。
自分もこの事件と趣味あるので、魏先生がこの事件の映画を作りたいの情報を聴いた時、
とてもうれしいです。」
魏:「お、知ってる、あの時の国民党党部、そのとても大きいな莫道・魯那の写真(画布)、見たことなる。
自分が見た時、とても興奮した。そして、この発想は絶対完成させる、これしかない。
馬:「それはとても偶然だな。先まて初らないげと、魏先生もその画像に影響された。」
魏:「自分はそう思っただけと、こういう物(台湾の歴史)、やっぱり派閥と関係ない。
こういう歴史、もし正確な立場で表現するなら、いろんな問題を解決できる、と思う。
映画の立場、文学の立場、歴史の立場から、
こういう種族と種族の問題、矛盾、衝突から見れば、
いろんな誤解を解けるの機会を作った。」
馬:「この映画から見れば、魏先生の視点の高さが見れる(中立の視点)。
映画の重心は日據時代の仇恨じゃない、莫那・魯道の部族の仇恨でもない、
重心は事件発生の因果関係、そしてその時の人間、どういう心境であらゆるの決断を作成。
こういうところ、個人的はとても感服。
霧社事件はもう80年以上の事件、この事件にはいろんな真相、映画にも詳しいに研究した。
特に、その時空の背景は、なるべく復元するの努力。
今の若い物は羨ましい、自分は学生の時、霧社事件はただの何枚の古い写真、それしかない。
今なら、その時空でも完璧に還元。
歴史を研究の時、外国の歴史なら、どんな歴史でも、いろんな映画ある。
自分は二戦のファン、米国のThe longest Day、何回も見た。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
その映画で、何だが自分の知識を真実化の感じ。
自分はそう思った:映画という物は、教育、文学、藝術、あるゆるの面相ある。
僕みたいな、霧社事件趣味あるの人間にとって、この映画はとてもありがたいな物。
その上に、霧社事件後、その時の日本台湾総督、台中州知事引責辞任した。
その直接の原因は蒋渭水(台灣思想家、台灣民眾黨のリ一ダ一)、國際聯盟(League of Nations、二戰前の連合國)に告發。
あの時の日本、自国の国民に毒気を使った。その時、毒気はもう禁止されたはず。
そして、蒋渭水本人もその年でなくした。
でも、蒋渭水先生のやり方のせいで、霧社事件の真相が注意された。
魏:「最初は、霧社事件は国際公約(Geneva Conventions)と関る、毒気を使用だから、それしか知ってない。
歴史の資料を研究すると、その事件も日本の議会の議題になる。
でも、それを国際連盟で日本そ告発するのは蒋渭水のは、知らなかった。
映画完成後ある日、音楽劇「春風」を見てから、その事実を知ってた。
歴史という物、映画になるから、いろんな資料も現られた、歴史はそういうところが面白い。
この映画だから、霧社事件はみんな話題になる。
歴史だけじゃない、文学、藝術の分野も同じ(7:24)。