11/07/01 04:21:19.28
>>1の続き
≪改革成せずに涙した?温首相≫
この5月の下旬、日中韓首脳会談が東京で開かれ、温首相が来日した。公式行事のない一夜、
温首相は中国大使館員と華僑の集まりで話をした。政治改革が必要だと説いているうちに、
首相は涙ぐんで、目頭を指で押さえた。
温家宝首相は1980年代後半の党総書記の胡耀邦、続く趙紫陽と同じように、政治改革の志を
遂げることができないまま退陣することになるのであろうか。
では、ソ連共産党が91年に壊滅した後-胡耀邦が87年に追われ、趙紫陽が89年に追われた
後、と言ってもよいのだが-、今日までの20年、中国共産党が存続できたのはなぜだったのであ
ろう。
何よりも幸運に恵まれた。アメリカの好景気がずっと続いたのである。中国の港からアメリカの港
に向かうコンテナ船は食料以外、アメリカ人が住まいの中で必要とするすべての物を運んだ。アメ
リカから中国に戻ってくるコンテナは、あらかたが空っぽで、せいぜい古新聞と干し草だった。
中国の対米貿易は膨大な黒字となって、アメリカ国債に化け、そうした低コストの資本供給が、
アメリカの住宅建設を異常なまでに拡大させ、それがまた、中国の対米輸出を増大させていく。
中国はたちまち「世界の工場」になり、農民工は「2等公民」の扱いを受けながらも、1億人から
2億人へと増え続け、「世界の労働者」となった。中国の基幹産業を独占する国有企業も巨大な
力を持つようになり、党長老の一家はいずれも大財閥となった。実質的に大地主になっている
地方の党幹部の親族も、大資産家となった。そして、軍事費と治安費は毎年2桁もの伸びを続け
てきた。
クレムリンからソ連国旗が消えて、ロシアの三色旗に代わってから20年この方、中国共産党の
存続の日々はこのような塩梅(あんばい)だった。しかし、この先、中国の経済が、これまでと同じ
仕組み、同じやり方で進展していくことはあり得ないし、軍事費と治安費が5年ごとに倍増すること
を許してきた時代も終わらざるを得ない。習近平氏と薄煕来氏は、温家宝氏が手厳しく批判してい
る、「封建主義の遺風」「文革の余毒」にひたっている余裕はないはずである。(とりい たみ)
以上