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私は落陽に生まれました>吉田拓郎元気か?URLリンク(www.youtube.com)落陽 rakuyo (つま恋2006) 彼女に捧げよう
私は昨夜、天津出身の姉妹がやっている店で飲んできました
拓郎の嘘をつかないでを カラオケで歌いましよw
w落陽歌ったな格好は拓郎風で
共産党体制下での下放生活と日本への憧れで、私には何の迷いもありませんでした。
来日して最初に驚いたことは普通の家の庭先に色々な花が咲いていたことと、公衆トイレが奇麗なことでした。
中国で学んだ日本語は「毛沢東万歳」などの政治標語が中心で、日常生活にあまり役に立ちませんでした。そこで、京都日本語専門学校で勉強し直しました。
当時私は朝日新聞と読売新聞を併読していました。ところが、1984年頃から朝日新聞が「南京大虐殺」を旧日本軍がやったと大々的に報道することに違和感を持ち朝日の購読をやめました。
なぜなら、中国で「南京大虐殺」は教科書でもメディアでも見聞したことがなかったからです。
来日して「南京事件」についての論争があることを知り、知人から『南京事件日本人48人の証言』(阿羅健一著)を薦められて読んで、
当時の南京で「虐殺」は起こりうる状況でなかったことを知りました。また、「南京大虐殺」の教典とされていた英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員ティンパーリの『戦争とは何か』(1938年)が
、国民党の宣伝文書であったたことが国民党の公式史料で判明したことなどで、
私は「南京大虐殺」の嘘を知りました。
かつて私は中学の歴史教科書で、「毛沢東軍(八路軍)は国民党軍を30万人殲滅した」と教えられました。
いま共産党政府が「日本軍による30万人虐殺」を宣伝しているのは、これと全く同じ根拠のない政治宣伝なのです。
「731部隊」「従軍慰安婦」なども私は学んだことはなく、すべて政治キャンペーンでしょう。
朝日新聞の記事は祖父母から聞かされた日本軍とは全く異なります。むしろ『人民日報』より反日的です。
そんなこともあり私は中国の真実を伝えるために『月刊中国』(2002年発刊)という新聞を日本で発行しています。
発刊当時、さまざまな妨害を受けましたが、兵庫県警の外事課が警備してくれています。
90年代に来日した祖父は、着いたその日の夕方、家の外に置いてあった空き瓶や空き缶を家の中に入れようとしました。
私は「ここは日本だからそんなことをする必要はない」と言いました。そして滞在中、
外に置いてあるものがなに一つ盗まれないことがわかった祖父は「なんとすばらしいこどだ。
あの当時の秩序の良さを思い出したよ。