【韓国】日本車を描き写して「車強国」の土台固めた~現代は三菱と高級車共同開発、起亜はマツダと核心技術共有できず[06/17]at NEWS4PLUS
【韓国】日本車を描き写して「車強国」の土台固めた~現代は三菱と高級車共同開発、起亜はマツダと核心技術共有できず[06/17] - 暇つぶし2ch2:ピアノを弾く大酋長φ ★
11/06/19 04:01:01.43
(>>1のつづき)
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▲起亜車コンコードのベースになった日本マツダのカペラ。コンコードは当時オーナードライバーのための高
性能スーパーセダンを指向した。

◇世界最高のリバースエンジニアリング専門家、起亜産業 = このころ起亜産業(起亜自動車の前身)はやは
り日本マツダと手を握って多様なモデルを国内に紹介した。マツダファミリアを入れて初代プライドをリリース
した。「マツダ車が韓国で受け入れられる」と自負した起亜産業は直ちにマツダの中型車カペラを持ってきた。
すなわち初代コンコードだ。

コンコードが登場した当時は2000ccの中型車は社長の後席用高級車であった。いわゆる「ショーファードリブ
ン」だった。反面、起亜産業は世界最初の超音速旅客機コンコルドの名前をそっくり受け継いできながら「オー
ナードライバーのための高性能セダン」を追求した。

競合モデルより小さかったコンコードは直列4気筒2.0エンジンで最高出力115馬力を出した。最近の基準では
小型車より劣る性能だったが、当時高速道路でコンコードに追いつく中型車はなかった。

しかし三菱が熱く現代車と技術を共有したのと違い、日本マツダは起亜産業に技術移転をたやすく示さなかった。

大部分の部品を国産化したが、核心技術は相変らずマツダのそれをそっくり持ってきた。結局、起亜産業は
日本から持ってきた車を一つずつ分解し始めた。いわゆる「Tear down」だ。当時、起亜産業の研究員たちは
よく「開けてみる」ことと呼んだ。

技術が切実だった起亜産業は当時「世界最高の逆設計(リバースエンジニアリング)技術」を持った。車一台を
与えればその車を分解しながら一つずつ設計図を描き出した。そのため他の人々が堅く守る新しいモデルの
設計図をすぐに描き出すことで有名だった。皆がエンジニア出身の経営者、金善弘(キム・ソンホン)当時起亜
産業会長の指示でなされた。

最近乱舞する中国の自動車メーカーが韓国車を持ってきて分解して設計図を抜き取るのもみな1980年代末
に起亜産業が取った開発方法だ。

コンコードをベースに開発した準中型車キャピタルと後続モデルのセピアもやはり日本マツダ車を持ってきて
リバースエンジニアリングして設計図を抜き取った主人公だ。

当時起亜産業に身を置いた彼らは金善弘会長の指示をこのように回想する。

「他の会議は知らないが商品企画と製品に関連した会議は必ず金善弘会長が直接参観された。エンジニア
出身らしく製品全般に対する理解度と企画力は当時の研究員の身動きを出来なくするほどであった。」
(おわり)

キム・ジュンヒョン記者

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