11/06/09 09:42:17.26 phkJZvjo
>>456
朝からお付き合いどうもっす
俺はまだ賛成も反対もしていないんだが、こんな風に「当然」といわずに、どうして強制が許されるか検討すべきだと思うんだ
さて、米判例といっても、この問題に関するものは多くのものがあるが、米判例の立場は概ね
「公務員であろうが誰であろうが」強制は出来ない、というものであると一般に解されているよな
確かに、辞めればいいという考え方もあるが、そもそも「公務員に国歌を強制できるか」が論点なわけだ
だから、「できるよ」という主張はともかく、辞めればいいというのは根拠にならないのではないかと思う
ちなみにフランスは国旗国歌侮辱罪こそあるが、国歌を歌わないことをここにいう侮辱と捉えていない、ということだよね
俺が問題にしたいのは、「当然」という論理で「一律」に制約出来る性質のものか、ということ
子供に強制させるのと、口パクするのでも、だいぶその態様は違うし、そいつを厳重注意するのと、解雇するのもだいぶ違う
こんな風に、大きな幅があるのだから、もう少し分析的な検討を要するように思える
また、「教師の仕事だから」という根拠はどうかと思われる
彼らの仕事は、国歌を歌ったり、起立することではなくて、あくまでも式典を妨害しないという不作為に求めるべき
(だから、式前に「おまえら歌うなよ!絶対だぞ!」という教師は弁護の余地がない…)
これに対して、「社会常識や礼儀を教えるのが教師だぞ」という反論もありそうだが
そもそも人権の性質上、「常識だから、制約される」というのはおかしな論理だし、誤謬であるように思える
もちろん、礼儀を教えるのは教師の仕事だが、それと同時に憲法や人権の価値も同時に教えなければならない
だから、それだけを論拠に、果たして説得的に強制を正当化出来るかは疑問
それから、この前の最高裁判決についての評価だが、あれは理由を見れば明らかなとおり、起立しないことを人権として認めていると評価するのが素直
だから、規制の態様(例えば条例制定とか)によっては違憲となる余地を残しているから、「ほら、強制出来るんだよね」というのは誤った見方じゃないかな?