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▲<また見る東アジア近代史>
(前略)「大人のための近現代史」が原題の<また見る東アジア近代史>(三谷 博 (編集), 並木 頼
寿 (編集), 月脚 達彦 (編集))、カン・ジナ訳)は日本、朝鮮、中国の歴史を研究する日本学者ら
の数年にわたった研究会の成果だ。彼らは近代史に対する歴史的記憶が概して自国中心の視点
と思考に閉じ込められているということを念頭に置き、東アジア全体共通の経験と見解で近代の
意味を検討している。だから彼らの歴史知識と理解は非常に広くて深い。それだけでなく日本自
身の歴史についても冷静だ。その冷静さは他国の歴史展開にもそのまま適用される。
(中略)
この本ではロシアと英国そして米国の東アジア接近または、拡張政策も注意深く観察しており、こ
れを一面的に把握するのではなく「地球史的連動関係(global linkage)」として理解している。別に
言えば阿片戦争と清の対応、そして日本の動向、ロシアと英国の中央アジアでの対立と東アジア
での力学変化、米国の捕鯨産業の発展と東アジアの接近、これに対する清の対日関係変貌など
が包括的に分析されていることだ。
事実、東アジア外交史部門に関する私たちの出版事情は貧しいことこの上ない。日本の場合、東
アジア外交史または近現代東アジア国際関連史に関する本は到底言い表せないほど多いのと比
べ、今日まで続いている私たちの東アジア史に対する観点の量的貧弱さは衝撃的でさえある。日
清戦争当時、朝鮮半島の運命に深々と関与した陸奥宗光の書いた「蹇々録(けんけんろく)」のよ
うな外交備忘録が広く読まれておらず、これに対する学問的論戦までめったに見ない。
そのような局面にもまして100年以上の過去に朝鮮朝が東アジアの国際情勢をまともに把握して
判断を下すことを期待する事自体無理だ。
「1874年8月、清が朝鮮政府に送った意見書が到着した。意見書は日本が台湾出兵後、朝鮮に
兵士を送る可能性があって、そうなるとフランスと米国が日本を助けるだろうから、朝鮮はあらかじ
めフランスおよび米国と条約を結んで日本を孤立させなければならない、という内容だった。朝鮮
政府はこの言葉に驚いて、フランスと米国と条約を締結するのではなく、日本と関係を改善する方
を選んだ。」
清が提供する国際情報に依存していた朝鮮朝、そしてその後、結局成り立つ朝鮮と米国の間の
条約体制も清が主導する方式であったという点で東アジアの激動する現実に直面していた私たち
の歴史的自画像がまた悲しく読まれる。これは今、米国を清に置き換えて見れば果たしてどれほ
ど変わっただろうか。
東アジア全体の国際的力学を決定的に変貌させる日清戦争に対する私たちの社会の研究と大衆
的理解は日本とも比較される。中華的国際体制の決定的崩壊と、朝鮮朝封建体制の破滅をもた
らす日清戦争はそれだけではなく、日本の近代国家の成果と続く国際力学の複雑な展開を全部
圧縮している。この本はこの日清戦争以後の東アジア世界を検討しながらその意味をついている。
私たちの知識人社会では容易に見られない歴史論争だ。
(>>2-5に続く)
/キム・ミヌン聖公会(ソンゴンフェ)大学校教授
ソース:プレシアン(韓国語) 100年前東アジア'袋叩き'韓国、今でも全く同じだね!
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